「ICONOCLASM」梶迫小道具店 感想。

サークル、梶迫小道具店の「ICONOCLASM」というアルバム、初頒布はおよそ1年前でしたがやっと自分の中で色々作品について整理ができたので感想を書いておく。

個人的にこのサークルの音は2018年辺りからそれまでよりも一つ先のフェーズに突入したと思ってまして。
それ以前は音の傾向として本当にストイックというか重低音の強さ、ビートのタフさをひたすら追求した音作りとして目指すポイントが明確な分、それ以外の要素が入り込む余地のないクラブ向けという言葉に嘘偽りのない作品というイメージでした。
それが、2018年以降はそこで培った音の強度をそのままに映画音楽的な分かりやすいフック的な盛り上がりをビートの中に持ち込んでいる印象を受けます。元々音の強度がしっかりしているビートに盛り上がりの分かりやすいフックが加わる訳ですから当然強い音です。はっきり言うと凄くカッコ良い。

また、今作はブレイクビーツ、ハウス、トライバルハウスが混在するアルバムとなっていますが(便宜上ハウスとしていますが、単純にトライバルハウスのトライバル要素の加減でハウス寄りになってるだけかもしれない。この辺は間違ってたら僕の耳が悪いのだろうと思います。)、それでありながら通して聴いて非常に統一感のある一定の音のトーンに占められたアルバムです。
個人的なイメージとしては黒、それもドス黒いと言われるタイプの色といいますか、激しいビートでありながら深く沈み込んで行くようなそんな感覚を覚えました。
そして改めて特設ページを見て目に飛び込んだキャッチコピーが、

-その孤独は永劫に充たされることなく-

あぁ、イメージに合致する。ドス黒くて深く沈むって要は周りが見えなくなっている訳ですから孤独を表現する音の方向性としては間違いないのだと思います。
そして、「孤独」というキーワードを意識して改めて聴いてみると。各楽曲のビートや、多数の楽曲で見られるクワイア的なパート含め聴き手を追い詰めるような何かを突き付ける様な、この作品を通して聴き手をも孤独にしていくかのような、そんな感覚に襲われます。それがたまらない。こういう迫ってくるような音楽、とても好きなので。

個人的に好きなトラックは2曲目のInsaniaでしょうか。
ハウスのビートの上を執拗に繰り返されるクワイアと力強い映画音楽的なトライバルなビートで迫ってくる様な楽曲です。ただこの楽曲はベースがとても素敵で、このどこかフワフワしたイメージを与える様に細かく刻まれたベースラインが楽曲に黒さというか不穏なイメージを更に強化しているんじゃないかな、と思いました。

また、最終曲となる7曲目、Imagoも素晴らしい、スモーキーさも感じるファンキーなブレイクビーツがリヴァーブで少し霞掛かる様な感じの楽曲で、そこに乗っかってくるクワイアも他の楽曲よりもリヴァーブ成分強めで楽曲全体で音の力強さはそのままどこか音が遠く感じられる楽曲です。
特設ページの「孤独な邪神の激情」というワードやアルバムタイトルの意味が「偶像破壊主義」であることを考えると、おそらく破壊の末にどこまでも落ちていくような、劇場の果てのリフレインなんだろうな、とかそんなことを感じる楽曲でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?