「ある」か?「ない」か?

「ない」こと「ない」ものにフォーカスすると、「ない」状態をどんどん引き寄せてしまう。

「ある」こと「ある」ものにフォーカスすると、「ある」状態をどんどん引き寄せる。

要は何にスポットライトをあてるかだ。スポットライトをあてたところ、フォーカスした先が拡大してしまう。

昔の私の口癖は、お金が「ない」だった。

お金が「ない」と言えばお金が「ない」状態をどんどん引き寄せる。その思考は銀行口座の残高を「ない」状態に引き寄せてしまっていた。

でも、本当はお金が「ない」と言いながらも、まったくお金が「ない」状態ではなかった。サイフの中に100円でもあればお金はある状態だし、その100円をどう使うかだと思う。100円でも「ある」状態に感謝することだと思う。「ある」こと「ある」ものにフォーカスし、「ある」こと「ある」ものに感謝したい。

自分に信仰が「ない」というのも嘘になる。自分に信仰がないっす。と謙遜することが美徳でもないだろう。信仰が「ない」か?「ある」か?「ある」と思う。

信仰が「ある」状態。これは自分の力ではなく、ただただ神様の恵みである。恵みゆえに信仰が与えられた。

からし種一粒ほどの信仰でも、信仰が「ある」から1日1回は神様に思いを向ける、1日1回は神様に思いを馳せるのだろう。1日数秒かもしれないが神様のことを考える。1日1節でも聖書を読むのだし、1日1分だとしても神様に祈るのだろう。

「ある」か?「ない」か?

「ある」で満たされている。「ある」で溢れている。

「ある」こと「ある」ものに気づくことが大事だと思う。

食べるものが「ある」飲むものも「ある」

住む家が「ある」着る服が「ある」履く靴が「ある」

部屋の中を見渡せば、電子レンジが「ある」冷蔵庫が「ある」テレビが「ある」

自然界を見渡せば、太陽エネルギーの恵みが「ある」水が与えられて食物が育つ水の恵みが「ある」

人間が努力したわけでもないのに「ある」状態にしていただいていること・ものはある。

信仰が「ある」

神の恵みゆえに信仰が与えられた!

「ない」こと「ない」ものではなく、

今、自分に「ある」もの「ある」ことにフォーカスして、「ある」もの「ある」ことに感謝し、神様と人に誠実を尽くしていきたいぜ!

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