イエス・キリスト

自分が初めてイエス・キリストを救い主として信じ受けれたいと思ったのは、2004年の暑い夏だった。

当時、家庭はめちゃくちゃだった。父はアルコール中毒でお酒を飲んでは狂ったように家庭内で暴れる。

仕事で相当なストレスが溜まっていたのだと思う。子供の頃、家庭内でお酒を飲んでは狂ったように暴れる気持ちがよくわからなかった。

大人になって、良くないこととは承知しているが、仕事で溜まっていたストレスをどこかで解決できないと、家庭内に持ち込んでしまうだろうなと考えるようになった。

自分に自信がなかった。父が家庭内にいるときは、友達を家庭内に招くことができなかった。父が暴れる。そんな恥ずかしい姿を友達には見せられなかった。

荒野だった。

そんな状況でイエス・キリストは私と出会ってくださった。

「イエス・キリストを自分の罪からの救い主として信じましょう。」という招きがあったとき、なぜかわからないが、信じたいという思いが与えられた。

人のことは裁くし、妬むし、憎むし、軽んじる。よく、嘘をつくし、親不孝もさんざんしてきたし、人の痛みも見て見ないふりをしてきた。自己中心で生きてきた。

自分の心って汚物のように汚い。自分の人生振り返ったら、自分は罪しかない。

イエス・キリストを自分の人生の主として信じ受け入れられた。それが2004年の暑い夏だった。

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