互いに愛し合いなさい
私はあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。
ヨハネによる福音書 13章34~35節
「互いに愛し合いなさい」
教会の礼拝の中で耳にたこができるほど聞いてきた御言葉である。
教会の中で仲良しグループ、あるいは教会外で仲良しグループの中でなら、「互いに愛し合う」ことはそれほど苦ではなく、仲良しグループの中でなら「互いに愛し合いましょう」と強調しなくとも、自然に互いに愛し合うことはできると思うし、互いに愛し合うことは苦ではないだろう。
なぜ、イエス様は互いに愛し合いなさいと命じられたのだろうか?
仲良しグループに向かって「互いに愛し合いなさい」と言われたのだろうか?
ユダヤ人と異邦人の関係は、決して仲良しの関係ではなかったと想像するが、イエス様はユダヤ人と異邦人の壁を壊され一つにされた。
仲良しグループに向かって、「互いに愛し合いなさい」と言う必要もない。仲良しグループなら、言われなくとも自然、互いに愛し合う。
「互いに愛し合いなさい」とは、仲が悪い者同士、互いに愛し合うのが難しい者同士に言われたイエス様のチャレンジなのではないだろうか?
同じクリスチャンの中でも苦手な人。反りの合わない人。そういう人を愛するのは、チャレンジになる。とても大きなチャレンジになる。そういう人を愛することが葛藤であるし、悩みになる。
神様の願いってなんだろう?
やっぱり、互いに愛し合うこと。
イエス様がユダヤ人も異邦人も公平に愛された。
熱心なクリスチャンも、そうでないクリスチャンも変わらず愛された。どんなクリスチャンも変わることなく平等に愛された。自分とは違う立場のクリスチャンも変わることなく愛されている。
愛された。愛されている。
互いに愛し合いなさい。これはチャレンジだ。
チャレンジしていきたい。
愛することを!
互いに愛し合うことを!
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