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万年筆が欲しい

最近無性に万年筆が欲しくなって、近所の書店に併設された文房具売り場を物色していた。

どの万年筆もガラスケースの中に入っており、安くても8000円くらい、インク等含めると1万円くらいだろうか。

物を書くということが少なくなった今、そんな代物を買ってどうするのだろう。
いや、最近むしろ何かを書くことは増えた。とは言っても職場の上司や先輩に呼ばれ、ノートと万年筆とインクを持っていくのは違うだろう。

でもなぜか無性に欲しいのだ。
買ったら誰かに手紙でも書くかもしれない。
使う言葉に気を配れそうな気がするのだ。

日本人として美しい日本語を使いたいと日々思っている。
ただ、近頃は今まで吸収してきたあらゆる知識がしばらく放置してきた風船の空気のように抜けてきて、あまりにも言葉が出ないのだ。
ウィットに富んだ返しも出てこないし、簡単な言葉の言い換えもパッと思い浮かばない。
中身のない政治家のように、言葉と表現するのも恥ずかしい発話しか出てこない。
そんな自分が情けなくて仕方がない。

万年筆を買ったら解決するわけではないだろうが、言葉を操る「書く」という行動の根幹を担う筆記用具にお金をかけたら、何かが変わりそうな気がするのだ。

と綴ってきたことも自分の中にある気持ちではあるが、それだけではない。
生活必需品ではないが高級なものを所有したいという欲求がここのところ芽生え始めたのだ。

例えば靴や時計はどうだろう。サラリーマンであれば必ず身につける物である。
多くの人に見られる物なので、これらはいい物を買えいう言説はもちろん間違ってはいないだろう。間違っていないが故にそれにお金を使うことは手痛い出費に感じられてしまうのである。

万年筆という自己満足にしかならない代物を買うというのは、真の意味で自分のためにお金を使っている気がする。
その点で、不要なものを買うことこそ所有欲を満たせるのではないかと思うのである。

同じように、単身向けの分譲マンションを購入したい気持ちすらある(もちろん恋人がいればDINKS向け、あるいは将来を考えればDEWKS向けでもいいのだが)。

家などというものは一人暮らしである以上家賃補助も出るし、借りていれば間違いないものである。賃貸だろうが分譲だろうが希望の物件というのは探せばあるものだ。
それでも欲しいというのは所有欲の現れとしか言いようがない。
まあこちらは新卒のサラリーマンの手の届くものではないので、コンビニにあるsuumoのマガジンやネットの住宅サイトを見て羨ましいと思うだけなのだが。

一人暮らしを始めてからというもの、ずっとチューナーレステレビを買おうか迷ってAmazonの欲しいものリストに入れている。
何回も買い物カゴに放り込んでは6畳間の1Rでは家の大きさに余るような物だと踏みとどまっている。
今はどうにか耐えているが、いつか欲求が爆発してしまうのではないかと内心恐れているところだ。

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