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子どもの事~流産から不妊治療を経て

この内容は自分が今までさらけ出してこなかったこと
今回、きちんと向き合うために初めてさらけ出します

現在結婚して17年、子どもはいません

結婚したのが26歳
この時はいつか子どもはできると思っていた

もともと生理不順の私
毎月来るはずのものが私には年に3~4回しかこない

結婚して2年ほど経ち子どもを意識した時
婦人科を受診
排卵がうまく育たないとのことで検査や投薬開始

この時はまだ深刻に考えてはいなかった

そして投薬治療、基礎体温、タイミング法を続けて結婚5年目
生理が遅れていることで検査薬で調べたら“陽性”!

今でも鮮明に覚えている感情
嬉しさと、驚きと、なんといえない感情で病院に行ったこと
病院で正式に妊娠を伝えられて嬉しくて眠れなかったこと

子ども好きの旦那を喜ばせてあげられたこと
親に孫を見せてあげられること
受診のたびに少しずつ大きくなる子
どれも本当に嬉しい瞬間だった

そして職場に伝え母子手帳ももらったある日
日勤で仕事に行くとお腹に違和感

痛みとは違う不快な感覚
職場の人から「病院に行きなさい!仕事の変わりはいてもその子の変わりはいないんだよ!」と強く言われて早退して病院へ

病院で診察されると先生の手が止まり表情が変わった
「何?」と思っても聞けない診察室の空気
身支度を整えて先生と向きあって言われた言葉

「赤ちゃんの心臓が動いていません、流産です」

「わかりました」とあまりに冷静に言ったからか先生が「悲しんでいいんだよ」といったことを覚えている
そして待合室でも看護師さんが来て「泣いていいんだよ、無理しないで」と背中をさすってくれたことを覚えている

でも私は泣くこともなく、ただただ「大丈夫です、ありがとうございます」といって病院を出た

病院を出てから心配で来た駐車場にいる旦那を見て駐車場にしゃがみ込み初めて泣いた

そして謝る言葉しか出てこなかった
親にも連絡して泣きながら謝る事しかできなかった
旦那からの言葉は「しょうがない」
親からは「何で仕事したの」と

“私のせい”
この時から私の中でこの言葉がずっとある

流産の処置のため再び病院へ
先生から旦那と来てくれた母に説明があった

「妊娠初期の流産は遺伝子の異常がほとんどです。彼女を責めたりはしないで上げてください」

この言葉は私の救いでもあった
けど旦那と母には届いたのかな

処置をするために麻酔
麻酔前に先生の「大丈夫だよ、何も悪い事していないよ」の言葉は覚えているけど
そのあと麻酔で何も覚えていない

気づいたらベッドの上
まだ麻酔が効いているのかめまいがする
携帯を出して旦那に電話して迎えに来てもらう

本当は2時間は寝ていないといけない
旦那からは「えっ早すぎるでしょ」と言われた
けどめまいの中「ここにいたくないから、お願いだからここから出して」と言って荷物を持って外に出たのを覚えている

確か出ていくとき看護師さんにも止められたような…

母と旦那と合流して自宅へ
旦那からまさかの「パチンコで勝てそうだったのに」との言葉

そして布団で横になる私を置いて再びパチンコへ
二人きりになった母からは「何で仕事したの、無理したんじゃないの?ちゃんと体調管理しなかったの?」の言葉

謝るしかなかった
謝る事しかできなかった

そして「この世から流産がなくなれ」と思った

その後の私は不妊治療に力を入れるようになった
あらゆる情報を調べて、良いと思うものは試して
病院も不妊治療専門のところへ変えた

旦那に原因はない
過去に付き合っていた人との間に子どもがいるから

だからすべて“私が原因”

出来ることはやっていたある日、検査でまさかの診断

「子宮内が癒着しています、手術が必要です」

次から次と…何で?と思いながらも入院して手術することに
そして再び不妊治療!となるはずだった

治療開始したら子どもができると思っていた
けど私は治療に戻ることは無かった

手術後、私が壊れた

何もしたくない
眠れない
毎日「私なんかいなければいい」
「私なんか生まれてこなければよかった」と泣く日々

「鬱」となった
そして旦那に離婚を伝える

「私と別れて子どもが産める人と一緒になって欲しい」

旦那が断ったから今も結婚生活が続いているけど
この時別れていたら…

私は今も罪悪を持たずに生きれたのかもしれない
この日から私は旦那に罪悪感しかない

とりあえず心を戻すことにして私は“子どもを諦めた”
仕事に復帰して
そして進学して正看護師へなることにした

ある日友人に「進学しないって言っていたのに」と言われて答えた言葉

「私にはこれしかない、仕事しかない、それしか存在価値がない」

そう言って友人に怒られたのを覚えている

何でこんなに自分を追い込んだり鬱になったのか?
それは流産した時の言葉が大きい

旦那からの「しょうがないけど、やっぱり駄目だったか」

母からの「女として生まれて、子どもも産めないなんて…女じゃないわ」

そして知り合いの男性からの「子どもできないの?ラッキーじゃん!じゃあ俺の相手になってよ」

私は女としてダメなんだなと
欠陥品なんだと思った瞬間

“欠陥品”今もこの気持ちはある
この先も…ずっとこの気持ちは変わらない

子どもが出来て生まれるって本当に奇跡
そして本当に素敵なこと

私には叶わなかった

これからの女性の方は体を大切にしてほしい
男性は女性をもっと大切にしてほしい

子どもの事で傷つき
悲しむ人が一人でも減ることを心から願います