【今週も何とか生き抜いた】 vol.20
(5/13〜19)
おひとり様って何なのさ
Mon.
前日が母の日だったので、プレゼントっつうことでチケットを取って実家の母とものまねライブに行って来た。
パフォーマンスするのは「りょう」という名前で大阪を中心に活動している男性。前日に33歳になったばかりの彼が「バースデーライブ」というタイトルで昭和歌謡をたっぷり聴かせてくれるショーである。
わざわざ男性男性と言いたいのには訳がある。
りょう君、女性アーティストのマネしかしないのだ!
初めて見た時は(YouTubeだったかな?TVショーだったかな?)もう、そら、驚愕したよ。
だって、まず、見た目コレよ。
何なら小林幸子より小林幸子に似てるのだ!(伝われ)
で、肝心の歌だって口パクとかでなくガッツリ歌ってそして激似。
とにかく似ている。小節をコロコロ回して歌うあたりほぼ本人。
そんな濃い小林幸子も素晴らしいのだが、正直、ひばりファンの私と母はりょうくんのパフォーマンスに関してはとにかく美空ひばりが見たいのである。大好物。
似てるんだよ、これが。
色んな人が美空ひばりの真似するけど、ダントツでりょうくんが似てる。歌がべらぼうに上手い。
この日も彼は、ショーの中でひばりちゃんの歌を何曲かうたってくれた。
しかしね。
私はいつもにも増して度肝を抜かれましたよ。だってね。
美空ひばりのモノマネ、と言って普通人は「真っ赤な太陽」やら「川の流れのように」あたり歌うでしょ?
そんな中、なんとりょうくんは「一本の鉛筆」を歌ったのだ!
後にも先にも、この歌を歌ってひばりちゃん「モノマネ」する人、りょう君だけなんじゃなかろうか。
(美空ひばりを歌い継ぐ、とか言って天童よしみあたりが歌ってるのは聴いたことある気がする)
この「一本の鉛筆」は、あまり有名な曲ではないけど、美空ひばり自身も思い入れがあって大切に歌って来た曲だ。
1974年8月に行われた広島平和音楽祭で発表されたという。
という事からも分かる通り、これは美しい詩で綴られた強烈な反戦歌なのだ。
これをものまねショーで歌うという、その心意気たるや。ましてや昨今、軍事勢力で荒れる世界のニュースが飛び交っているこの時期に。
ますます好きになってしまうぞりょうくん、、、。
天国のひばりちゃんもさぞかし喜んでいるのじゃなかろうか。
母も私も感無量である。
ショーはこの他に、昭和歌謡と銘打ってるだけあって、梓みちよ(!)や大月みやこ(!)、小柳ルミ子に山口百恵、、、
似てるよう、みんな似てるんだよう、、ドレスやカツラは変われども、同じ人(しかも男性)の違う声色で完全に脳がバグるやつ〜
ダダダ!と早変わりのものまねショーをたっぷり1時間以上堪能したら、休憩を挟んで第二部スタート。
第二部は、先日亡くなった八代亜紀を偲んだメモリアルショーを展開。
ぜんぶ亜紀ちゃんの歌をりょうくんが歌うよ!そっくりだよ!
しかも「当時を思い出して下さい」なんつって、デビュー当時の衣装や髪型を再現して時代がどんどん進んで行くにつれて、衣装もカツラもどんどんチェンジ。
素晴らしい、、、
最後は八代亜紀がレコ大(懐!)取った年の紅白でもパフォーマンスを再現するとかで、佐良直美(!)のナレーションまでものまねして演出しちゃってんのよ!
いやもう、さすがに私も佐良直美はギリギリだよね。ギリギリだけど似てるの分かってちょっと笑ってしまった。
りょうくん、あなた本当に33歳なの…?
祖父母の影響で昭和の歌姫たちにどハマりしたらしいんだけど、それにしたって知識と技術が凄すぎる。
最後はなんと出口でりょうくんがお客さんひとりひとりと握手してご挨拶してくれるという神サっぷり!
私も母もりょうくんの美しさにクラクラでメロメロになりながら会場の月島区民ホールを後にしたのでした。
家が遠くて大変だったかもだけど、母もガッツリ楽しんでくれたようなので、来て良かった。母には大声で言えないけど、私の方が楽しんじゃった疑惑アリ。
りょうくんは中々東京でショーをやる機会は少ないんだけど、次回も絶対行こうねと母と娘の誓いを立てて参りました。
Tue.
こんなん書くの非常に辛いんだが、
私が大学生だった30年くらい前はソロ活はおろか、おひとり様なんて言葉も存在しなかった。
私は高校生活の後半にはもう、「誰かにそんなふうに見られたら恥ずかしい」という感情を失くしつつあったので、ひとりで下北沢あたりのラーメン屋に行ったり、新宿の吉野家あたりは全然普通に入って食事したりしていた。
と書くとやはり特別なことのようではあるが、確かに当時は女ひとりで飲食店に入るような人は少なかった。それが若ければ特に。
何で私は平気だったんだろう、と今少し思ってみたりする。
小さい頃から両親共に働いていた「鍵っ子」だったから?
バイトをいくつも掛け持っていて、合間に食事を摂る必要があったから?
大学4年生になる頃、1人で函館へ旅行に行ったことがある。
立待岬の先端へ行って「写るンです」で激しく砕ける波しぶきの写真を撮って、売店でつぶ貝を焼いたのをひとつ買って食べた。
「自撮り」という言葉も技術もない時代なので、そこら辺歩いている人を捕まえて「私のこと、海をバックに写真撮って貰っていいですか?」と頼んだりした。
翌日は五稜郭へ行って、ひと気のないベンチにねっ転がって、濃い目の牛乳を飲みながらゆっくりと煙草を数本吸ったりした。
夜はカウンターばかりの小さいお寿司屋さんに行って、その時初めてサーモンの握りを食べた。
初めてのひとり旅だったけど、すごくすごく楽しかった。私は方向音痴(と言うか白痴)なので、道に迷ったりもしたけど、そういう経験も含め全ての出来ごとが楽しかった。道を間違えても予定を変えても誰にも申し訳ないと思わず済んだ。食べたいものや好みを聞くのは自分だけで良かった。
楽ちん〜!
楽ちん=楽しい、って思い出となった可能性も高いけど、私にとっての初めてのひとり旅は、いい思い出しかない。
と言うような事を、勤め出してすぐに職場の同僚に話したところ、彼女は涙を流して爆笑しながら私の話を聴いていた。
「ちょっと待って、なんでひとりで旅行に行っちゃったの〜?!笑」
「行く先々で寂しい人って思われちゃいそう〜ウケるー!」
「しかも北海道でしょー?なんで〜?!笑」
これは「すべらない話」とかではなくて、何なら自慢話くらいの心意気で披露したんだけど、、
と私は傷付きはしなかったけど、腹は立った。
私の大切に思ってる旅行の話を笑って消費したこと、忘れねえからな!
とその時に笑顔で思いました。
現に今でもこうして忘れてない訳よ。
まぁ、当時から中々女1人で旅行行く人は多くはなかったろうなとは思う。
でも、やはりそのことを嗤うセンスとは私は相容れないなと当時も今も思う。
時は流れて、30代40代と私の年齢と共に時代は進んで、ソロ活なる言葉もだんだんと世の中に浸透して行き、そういう1人行動をする女性を対象にしたツアーやサービスは増えつつある。そりゃ女性が起業したり家買ったりし出してるんだから世の流れの理りってやつだよね。
その間、私も女って言うか1人より大勢で行くべきでは?な焼肉屋さんや居酒屋へも全然1人で行くようになっていたし、海外アーティストのライブも1人で大汗かいて踊ってたし、旅行に関しては海外旅行だって1人で行くようになっていた。
先日、私のスワローズ応燕活動において若干気になっていた「女1人で神宮野球観戦問題」も、Twitterでエゴサしたところ、結構な数の「私も神宮行く時いつもひとり〜」なツイートを確認して安心したりしている(この場合、女1人、というより野球よく分かってない奴1人観戦して大丈夫?な心配ではあるけれど)
つまり、全然変じゃない!
こんな世の中なのに、やっぱり1人で食事に行けない人や、行きたいアーティストのライブも一緒に行く人がいないからと諦めたりしてる知人の話聞くと、なんだか私の心がぎゅうとなるのは何故なんだぜ。
1人で色んな所へ行ったりやったりするの、こんなに楽チンだし楽しいよお〜とオススメしてみるけど、頑なに拒否する人の「そうね、でもね」を聞く時の私の心のざわめきは何なのだ。
でもさ、これって互いに違う文化を生きているような気がするよ。結局伝わらない、というかさ。
だから私が腹を立てたり、匙を投げたりするのは、なんか、そういうことじゃない。
美味しい食事をするのに、箸で食べるかスプーンで食べるかの違いみたいなものなのだろう。勇気とかそんな話じゃない。きっとね。
嫌な思いしたり怖い経験したひとがいるかもだしね。世代とか地域とかも関係してきそうだし、そうなると本当に文化の話となるよね。
と、一旦理解のあるフリをして改めて思う。
そういう周りの目とか気にして何かを諦めるような空気感、早くなくなりますように。そういう世界になれば私も笑われずに済む。笑われることより「まだそんなことで笑われる世界を生きてんのか」という絶望の方がキツイのだ。女性のおひとり様における我慢やストレスが軽減されて、みんながそれぞれの欲しいものに簡単に近づけてみんながゴキゲンな気持ちで日々過ごせたら、どんなに平和かしらと大げさじゃなく思うよ。
こういう我慢は規模の程度はあれど、結構な頻度で縛られることやはり結構あって、私でさえもたまにグッとそこを飲み込んで居酒屋ののれんをくぐったりすることあるんだもの。
今頃珍しくもない1人でどこでも行ける女について、あえて言葉にしてみたかったのは、そう、最近また私が1人で出掛けることの醍醐味を割と丁寧に語ったつもりなんだけど、逆にその知人に揶揄されて不愉快な気持ちになったから!
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