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空區地車の力学41.空區地車、令和の大改修

改修が繰り返されて進化する地車
私が空區地車に興味を持ったのは平成になってからだ。とはいえ私の興味は今もって人間模様にあり、地車そのものへの興味は少ない。しかし、平成以降の改装は要員として駆り出されれるこよもあり、何とはなしに見ている。
平成2年に飾り幕を新調し、平成6年には地車巨大化の波に乗って、以前鳥居をくぐるぐために高さを20cm短くしていたものを新調当時の寸法に戻した。これにより枡合から車板にかけての6面に神功皇后から仁徳天皇までの三代天皇一代記の彫り物を彫師・井岡勘治師によって一新していただいた。

彫師・井岡勘治師による枡合の「三代天皇一代記の彫り物」

そして、高さを20cmを元に戻したのが、大工の平間利夫師である。この頃、平間師は住吉の地車にとってなくてはならない方で、他の地車の改修と並行して空區の改修を続けていた。
私もこの頃に平間師とお会いしている。「お会いしいる」というと巨匠感があるが、実際は町場の大工さんという感じの方だった。いつも軽トラに大工道具を積み込み、地車小屋にカップ酒を並べて寝泊まりしていた。大工さんなんだか酔っぱらいなのだかわからない状態だったが、灘から東灘の地車の改装および新調を数多く手掛けている。
中之町や西区、西青木、西芦屋の地車を担当した二代目平間勝利師(平間美濃三良勝利、天保5年~大正2年、享年80歳、主に大阪で活躍)と姓が同じなので弟子なのだろうか???
酒を呑むと手が止まり、爆睡。目覚めれば作業にかかるので、刻一刻と例大祭の日が迫り、最後は空區若中レジェンド連も総出で改装を手伝い、その年の巡行に何とか間に合わせた。
空區地車の改装を終えた後も平間師は相変わらず引っ張りだこで、呉田區地車の新調作業中の平成19年急逝、呉田區地車の完成を見ることなく逝ってしまった。呉田區地車はその後、青木親子に託され平成24年に完成した。

2016年5月22日宮司襲名披露巡行での空區と呉田の地車

空區地車は平間師急逝後、空區若中レジェンド連によりチョコチョコ改装されたが、コロナ禍の令和2年、大改装が行われた。
これについては茶屋のだんぢり漫遊録|地車総合サイト だんじり (m-danjiri.jp)の「2020.11.12(Thu) 13:10  桜の季節に密かなだんじり搬入」に詳細が記されている。
本住吉神社内にある地車小屋の前でチョチョイと屋根と本体をばらしてトラックで運び、大改装後は再び地車小屋の前で合体させて小屋に若中の手で納車した。
大改装された空區地車は、3年ぶりに行なわれた令和4年(2022)の例大祭に向け同年3月27日に試験引きが行なわれ、同年例大祭でお披露目された。

令和4年3月27日 試験曳き
私は後ろテコを担当した

空區若中レジェンド連の大改装の評価は、私が聞いただけでも「屋根の板の張り替えがいまいち」「錺金具(かざりかなぐ)が貧相や」など様々あったが、曳き手の私が気づいたのは獏(バク)が取り外されていることだった。

獏(バク)が消えた!?

獏の彫り物は、平成6年の大改装時に枡合からこの位置に移されたのだろうか?

獏(バク)といえば「バク、バク、バク、大和田獏!」(野沢直子作)となるのが我々世代。獏は、古代中国の想像上の動物で、身体は熊で、象の鼻、犀の目、牛の尾、虎の脚をもつとされる。獏は、縁起のよい霊獣として寺社や地車に数多く彫刻されている。
空區地車にも多くの獏の飾りがあるが、上記写真の獏は、曳き手の私にとって妙な位置についていたので正直邪魔だった。子供会の綱がはけるとようやく私は曳き手の一人になれるのだが、獏の辺りで曳くのが常。というのも、この位置で棒鼻に頬を近づけると地車の進路がよくわかるからだ。その時に目に入ってくるのが獏の彫り物だったのだ。
先にも述べたように高さを20cm短くしていたものを元に戻したので、この時に枡合の小口にあった獏(ばく)の彫り物が勿体ないので棒鼻側面の小口につけたのだろうか?
私が敬愛する空區若中・津田アニキに聞くと「彫りが貧相なので相野師や二代目正勝師の作ではないやろ」とのことだが、もしかして相野師や二代目正勝師作ならどうよ。どこへ消えたの?獏だけに夢と化した?

テコ棒を支える鉄のフックは令和の大改装では取り外され、短命に終わった。
その奥には獏(バク)がいたが、これも無くなった。
ロープは藍染が間に合わず白のにままだったが、太くなったので曳きやすくなった。

このように、地車の改修はその時に担当した世話役が中心になって行なうので、結果しか見えない若中にとって都度、賛否両論になるがそれもまた致し方ない。
「百年も使ってきた歴史ある地車をぶち壊して、新しくする奴の気が知れん」というセリフは、ここ20年ほど前から始まった「地車の巨大化」で幾度となく聞いてきた。しかし数年経つといつしか忘れられ、また改装が始まるのだ。
空區地車も大改装を終え「屋根の張りがいまいち」なら張り替えるし、「錺金具(かざりかなぐ)が貧相や」なら付け替えるまでのこと。勿体ないちゃ~勿体ない話ではあるが、来年の例大祭で再会する空區地車はまたどこかの部位が変化しているかもしれない。
もし仮に地車小屋が大きく建て替えられたとしたら、住吉8つの地車はわれ先にと大きくなるにきまっている。それが去年大改修したとしても競い合うに違いない。地車はいつの時代も大きく、美しくなるのが宿命なのだ。
残念ながら私には目利きができないので、いいんじゃねー的に評価してしまう。
空區地車がさらに大きくなるのか、国宝級の飾りがつくのかなどの方向性については空區若中レジェンド連にお聞きするしかない。
しかし次回お会いできるのは、10月9日の「東灘区区政70周年巡行」になる。それはまた明日のココロなのだ~。乞うご期待!

令和4年(2021)例大祭、宮入


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