見出し画像

"感覚的"に頭を働かせる

お久しぶりな投稿です。
一気に寒くなって、空が澄んでいるので月がキレイに見えますね。冬の夜空を見るのは大好きです。

ここしばらくは、コロナの影響を受けざるを得ない研究テーマに思い悩んだり、投稿論文の査読者コメントにひいひい言ってました。とりあえずはひと段落しそうです。やったね。

秋学期は授業でアカデミックライティング(英語)を取っていて、そこで英語論文・エッセイの文章構造のポイントを学びました。

というのは、
まず、自分の主張(thesis statement)がある。
そしてそれがなぜ真であるのか、過去に明らかになっている事実(supporting points)から理由を提示して説明する、という順序が徹底しているということ。
「自分はこのエッセイでこれがいいたい!」をはっきりさせて置くと、いつでも議論がずれていないか立ち帰ることができて、頭が整理しやすい。しかも、自分のいたいことを主張するためにどんなデータが必要か、明確に把握できる。
この考え方は、研究にも応用できて、
早くからこの考え方を学んで意識していたら、研究の問いを立てるのがもっと楽だったんだろうな〜とちょっぴり悔しい気持ち...。
論理的に考える癖がつけられますよね。私はとても苦手です。意識しないとすぐに「なんとなく」で自分の考えを主張してしまいます...。

さて、こんな前置きをしておきながら、
今日私が書きたいことは「感覚的に頭を働かせること」です。

感覚というと、「とくに考えなくてもなんとなく、直感で」わかること
だから、上記で説明したような推論的な考え方とは真逆ですよね。というかそもそも考えてなくね?っていう。

でも実は、「感覚的な頭を使う」って人が健やかに生きていく上で重要なことだと思うんです。「エビデンス、ロジック、サイエンティフィック」一辺倒から自分の頭を解放するための思考の時間。

例えば「今日私は何を食べたいんだろう」と真剣に自分に問いかけること。
その日の疲れ具合、気温、時間帯など...によって欲する食事って違うと思うんですよね。
そして、わたしが今日食べたいものはぴったりこれだ!って選び出すその時間って、なんだか尊いものだし、人を日々の疲れから癒す力があるのかなって思うんです。
ただ、お腹を満たすだけじゃなくて、心も満たされるような感覚をもつことができる食事。

私の場合は「食べること」が大切なこととして思い浮かんだだけで、おそらく「癒す力のある何か」「感覚的に心の声を聞いて選び取るべきもの」って人それぞれだと思います。
日々の忙しさや課題に誤魔化されないで、ちょっと立ち止まって意識して、"考える"時間をとることは大切だなとしみじみ思います。

もちろん理性的な思考もとても重要で必要だけども、理性と感覚のバランスをとるための一つの方法として、忘れたくないことだな〜と思っています。


#マインドセット #大学院生の生態

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?