働く

  

 離婚をして四人の子供を育てるために、私は宅配便の配達の仕事に就いた。四十八歳の就活は想像以上に厳しく、やっと就職できたものの、研修の時点で音をあげそうになったりもした。
お金を稼ぐことは大変だ。雨の日も、雪の日も、凍える寒さも、汗が滝のように流れる炎天下の時も、重たい荷物を運ぶ。体のあちこちがギシギシと音をたて、心の声は「無理!」と叫んでいる。それでも、子供達の教育費、家賃、水道光熱費、米だって買わなくっちゃと、気合いを入れて、笑顔で配達をした。
なんだかアリンコみたいだなあと、時々考える。自分の体より大きな荷物を女王蟻の元に届け、また次の荷物を運ぶ。私も台車いっぱいに詰め込んだ荷物を運び終わると、センターに戻って、また荷物を積んで配達する。
「体重の半分位の重さの物は運べるよ」と言われ、「じゃあ三十キロは無理ですね」と答えると、「五十キロまでいけるだろ?」とからかわれたが、こつを掴むと五十キロくらいの飲料水を運べるように……。腕はどんどん太くなり、力こぶもお目見えした。と同時に日焼け止めクリームの甲斐もなく、顔には大きなシミまで現われた。
「ご苦労様」「えらいわね」「よく頑張るわね」と声をかけられ、お裾分けやお駄賃をいただいたりもした。
「働く」という字は人偏に動くと書く。まさしく体を使って動いて稼ぐ。仕事中は煩わしい悩み事を忘れることが出来た。
 六十歳までは、なんとか頑張ろうと思っていたが、同居する母が、いよいよ介護が必要となったので、十年勤めた会社を退職することにした。
 働き始めた時は長女が高校生、末の息子が小学三年生だったが、長女がシングルマザーで、息子も就職が内定し、子供達に手がかからなくなったことも、退職の要因になった。体が悲鳴をあげていたというのが本音だけれど、それは秘密にしておきたい。
 四人の子供達に相談すると、「みんなで協力するから、お母さんはもう働かなくて良いよ」と言ってくれ、涙が止まらなかった。
 生活のために仕事をして、母親らしい事が出来なかったし、家のことは母に任せて、親孝行らしいことも出来なかった。
 今、母の介護と、孫のお守りで、毎日充実している。
「働く」は「傍を楽にする」という意味もあるらしい。体を動かして稼ぐことから、子供達を手伝って、母を介護して、少しでも楽になってもらえたらと思う。
 炊事、洗濯、食器洗い、掃除、ゴミ出し、専業主婦の仕事は結構大変なのに、それに対する対価が目に見えない。生産性がないような気がして、ちょっと淋しい。
 でも、母が「ありがとう」と日に何度も言ってくれる。
 孫が「ばーば。ばーば、大好き」と言ってくれる。
 子供達が社会で活躍してくれて、私の生活も守ってくれる。
 だから、私は「ハタをラクにする」ために一生懸命に働きたいと思う。

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