文ストの主要テーマ「思考」について

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。

思考は文ストの主要テーマの一つである。
そもそも異能力者とは文豪であり、文豪とはすなわち思考する者。
現実の文豪たちは、思考を巡らせた者たちである。
そしてその思考故に、人生を苦しいと思い、自ら命を絶った文豪も少なくない。命を絶たないまでも、何かに依存したり、退廃的な生活を送ったりする人は多い。
思考の鋭さというのは、人を苦しめる要素となり得る。
それは文ストの登場人物にも反映されており、思考に囚われて虚無に陥ったり、生きることを苦しいと考える数々の登場人物が存在する。

思考は人を苦しめる原因であるだけでなく、人から「本能的な生きる強さ」を奪い取る厄介な代物でもある。
DAで敦が見せた「だって僕は生きたかった」という純粋な生命力は本来すべての生き物が持つ生命力なのだが、人は思考を持ったことによってその純粋な生命力を失ってしまった。

そしてドスと太宰の戦いは「思考をめぐる戦い」といえる。
ドスは思考こそが諸悪の根源であり人間を苦しめる原因だと考えて、人を思考=原罪から解放することで救済しようとしている。
一方太宰は、思考を持ちながら悩みあがき、本能ではなく自分の意志で生きる強さを獲得していくことこそが、人間に与えられた贅沢な生き方だと考えている。思考による苦しみも、そこから生まれる悪魔性も、すべてひっくるめて人間という生物の魅力だと賛美している。

思考を悪とするドスと、思考を善とする太宰。
おそらく二人の思想はどちらも正しい。
この二人の対決は単純な勝ち負けや優劣では決して語ることのできない戦いである。
人間にとってあまりにも根源的な主題であり、これまでも、そしてこれからも永遠に答えを出すことはできないのかもしれない。
だが「唯一の解答」が存在しないテーマや、永遠に正解にたどり着けないテーマを考えることに人生を捧げる者こそが文豪という存在ではないだろうか。
太宰とドスの出口のないこの戦いこそが、文豪ストレイドッグスを文豪ストレイドッグスたらしめる戦いなのだと言えるのかもしれない。

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