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ドスくんの目の光について(お題箱から)

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
※お題箱に頂いたお題への返信です。

頂いたお題はこちら:

初めまして。こんにちは。いつもものあしさんの考察、深く読ませていただいています!
 文ストのキャラクターの目は、光があるか無いかで、そのキャラの精神状態などを表しているようなことを聞いたことがあります。鏡花ちゃんは、敵から味方になったとき目に光が現れました。そこで思ったのですが、ドス君の目って、黒くくすんでる感じですよね…今後、ドス君の目に光が現れる可能性はあり得ると思いますか?(敵から味方に)個人的には、太宰さんがドス君を変えてくれればいいなと考えたりしています。
 色々と日本語がおかしくて申し訳ありません💦考察して頂ければ嬉しいです。ここまで読んでくれてありがとうございます。


はじめまして~!考察読んでくださって嬉しいです。
ありがとうございます!

頂いたお題が興味深すぎてここのところしばらくずっともの思いに耽っておりました。
キャラの目の光具合は確かに心のどす黒さが反映されているような気がします。35先生もそうおっしゃっていたような…。
そしてそうですか。
お題主様には、ドスくんの目は黒くくすんで見えるのですね。
ほんとに興味深い。
というのも、フォロワーさんのツイートなんかを拝見していると、ドスくんの目は澄んでるよね、太宰さんよりも光があるよねっていうコメントも見かけることがあるからです。
「透き通った目だよね」という意見と「黒くくすんでいるよね」という意見の両方があるの、すごいんですよね…。
ドスくんの中にある二面性が目の光り方からも表現されていて、見る人によって見え方が違う、ということだと思います。
キャラ設計が秀逸すぎます。

ドスくんの目は紫色で、善の象徴である青と悪の象徴である赤が混じり合っているので、「どちらの可能性もありますよ」ということの表れなんだと思ってます。
紫水晶のような、というのが公式の表現ですよね。
アメジストは司教の石とも言われキリスト教では司祭が身に着ける高貴な石とされています。

アメジストの語源はギリシャ神話にあるそうです。
アメジストは美しい少女だったのだが、あるときお酒の神ディオソニスに襲われそうになる。
そのとき月の女神セレーネが少女を守るために彼女を透明な水晶に変えた。
その後、自分の罪を悔いたディオソニスが水晶になってしまったアメジストに涙を流したかワインをかけたかして、水晶が紫色に変色したのが、アメジストと言われているようです。
少女に暴行をして、それを懺悔するというくだりが、めちゃくちゃ史実のドストエフスキーらしいんですよね。
ドストエフスキーは純真な少女にすこぶる弱いのです。傷つけては心を痛めているのです。
紫水晶のような目はドスくんにピッタリな目だなと感じています。

少し脱線してしまったので、話を戻しますね。
前にも考察で似たようなことを書いてますが、史実のドストエフスキーの中には分裂した二つの考えが同居しています。
どす黒く傲慢なくせに、地球と人類を心の底から愛してる。
憎しみの中からしか愛情を生み出せない。
愛情の中からしか憎しみを生み出せない。
苦悩と愛情が常に隣り合わせ。
非道なことをすればするほど、その人への愛が強いという捉え方もできる。
愛情と残虐性が同居している。
マルキドサドにつながる異常性はやっぱりちょっとある気がしています。

ドスくんが女の子を自爆させて犠牲にしたシーンはとても印象的ですが、ドストエフスキーは少女を特別視しています。性的な意味ではなくて、彼女たちのあまりの穢れのなさに胸を痛めていたようです。
あの幼女殺しは彼女への深い愛情の裏返しだという読み取り方もできます。

そしてドスくんは史実のドストエフスキーの二面性を引き継いでいるんじゃないかなと思います。ドスくんの中には神と悪魔が同居している。
この二面性にプラスして、非凡人なら目的のためにどんな悪を行ってもいい、という思想が加わっているのでは。
人類を救済したい、地上に楽園を実現したい、原罪による苦しみを終わらせたいと本気と思ってて、それが自分にならできると過信してる。とんでもねえ傲慢さだ。

ドスくんの言動から愛情を読み取るのか、悪意を読み取るのか。
天使とみるのか、悪魔とみるのか。
英雄とみるのか、気狂いとみるのか。
受け手によってどっちとも取れるようになっている。
そしてそのどちらも内包している。
それがドスくんの深遠さに繋がってるんじゃないかなと感じています。
だからこそ、目の光り方も見る人によって解釈が異なったりするのかもしれませんね。
ほんと秀逸。(二度目)
35先生は女神様です。

さて、そんなドスくんを救う方法はあるのか、ですね。
ドスくんは言ってしまえば、自分の考えに固持して暴走してる状態なんじゃないかと思ってます。(私はそう解釈していますが人それぞれなのかも)
その暴走を止めてあげることが彼にとっての救いなのかもしれないですね。

史実の方から考えると、ドスくんの暴走を止めるキーワードになるのは「少女の純真さ」「良心の呵責」とかなんじゃないかなとは思います。
そして我に返ったドスくんは罪の意識に耐え切れずに自殺する。
ドストエフスキー作品にありがちなやつですが、それじゃあ救いにならないかな。
いや、死を救済と考えるなら、やはり自死も救いではあるのですが。
自死するとしたら、ピストルか首吊り希望です。
どれもまったくの個人的な趣味です。
ドスくんは死なない、という意見にも賛成です。
お題主様のいうように、味方側についてくれたら嬉しいですね。
その場合も、ドスが横浜側に歩み寄る、というよりは横浜側がドスの目的に同調して協力する、という方が可能性は高そうだなとか妄想してます。

ごめんなさい。だいぶ好き勝手書いてしまいました。ドストエフスキーにすごい詳しいわけではないので、認識が誤っているところもあるかもしれません。ご容赦ください。

頂いたお題のおかげで、自分の中でのドスくん像がまた広がったような気がします。
少しでもお役に立てていたら幸いです。
お題を頂きありがとうございました!!

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