〈DA考察④〉死の果実からドスの動機を考えてみる

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。

この考察の2/3は単なる妄想です。DAでのドスの行動や本編での発言から、想像を膨らまして一つの可能性を提示しているに過ぎません。少しぶっ飛んだ内容になっていますが、何卒ご容赦ください。

DAでドスは地球を死の果実にする、つまりこの星からすべての人間を消すことを試みた。そしてドスは本編の作中でも、異能者のいない世界や悪のいない世界を実現したいと述べている。
しかし彼が「なぜ」そういう世界を作りたいのかは、まだ明かされていない。
単に悪をなくしたいという正義感なのかもしれないが、もっと奥深くにドスの動機や思い描いている理想があるような気がする。その理想は決して「世界を征服したい」とか「有能な人だけの世界を作りたい」とかそんな低次元のものではなさそうなのは確かである。
彼の異能力が原罪に関係するものならば、ドスの心の中には原罪に対する課題認識のようなものが占領していると考えられる。原罪から人を救う。この大義のためにドスはすべてを捧げているのかもしれない。

そもそも原罪から人を救うための手段には、どのようなものがあるのだろうか。
まずはDAでドスが目指していた「死の果実」が、どのようにして原罪から人を救うことに繋がるのかについて考えてみる。

DAで分離した異能はリンゴという知恵の実の形になる。そしてその分離した異能を集めることは、すなわち知恵の実を集めるということ。
世界全体の異能者から知恵の実を集めれば、一つの大きな知恵の実になる。
人がエデンの園で知恵の実を食べてしまったことがすべての罪の始まりなら、自分たちが食べてしまった知恵の実をもう一度集めて元の形に戻し、それをエデンの園に返す。
そうして神に罪を「返却」すれば、原罪をなかったことにできるのでは?
もしかしたらそんなことを考えていたのかもしれない。

ドスが人を原罪から救おうとしているのなら、まずは犯した罪を清算することを考えるはず。
その清算の手段の一つが、死の果実を作って献上することだったのかもしれない。
しかし、DAでは最終的にそれが実現しなかった。
では、他に償いの方法はあるのだろうか。

そのヒントはイエス・キリストが見せた自己犠牲の姿にあるような気がしている。
自分を犠牲にして他の者たちを救う。自分の思考を自分ではないなにかのために使う。
おそらく自己犠牲によっても、原罪は少しずつ償われていくのだろう。
そしてドスが目指しているのは、人類全体を巻き込んだ自己犠牲だという可能性がある。

思考を持った人間は、地球に負の影響ばかり与えている。二度と還らない貴重な環境を破壊し、生物の繊細な生態バランスを破壊し、あまつさえ生存しているだけで地球に負荷がかかっているのに、戦争までも引き起こして核をはじめとした害を撒き散らす。
そんな現実に自らの手で終止符を打つために。
この星の未来のために。
他の種の繁栄のために。
すべての人間が死という自己犠牲を捧げたとしたら?

人間がいなくなった地球は、神が創った完璧と調和が支配する世界となり、穏やかな楽園の姿を取り戻す。
そして尊い自己犠牲を捧げて罪が清算された人間は、再び神の祝福を得て、永遠の幸福を手に入れる。
もしかしたらそんな夢物語を思い描いていたりするのかもしれない。
たしかに壮大な理想ではあるが、それでも人は生きたい死にたくないと思うだろう。
その生きたいという想いは、人間のエゴか、はたまた生命の輝きか。

だけど、なんのことはない。
死ななくても、日ごろから自己犠牲の精神で全てに向き合えば、人の原罪は徐々にすすがれていくのだ。
そして私たちは既にその答えを目にしている。
自ら爆弾に覆いかぶさろうとする精神性。
そこにこそ、人が原罪という罰の中を幸福に生きるための理想的な姿が映し出されているのだろう。

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