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文ストと黙示録のメタファー(お題箱から)

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
※お題箱に頂いたお題への返信です。
※漫画の中における象徴についての記事ですので、キリスト教そのものとは一切関係ありません。

頂いたお題はこちら:
ものあし様の素敵な考察をいつも楽しく読ませていただいています。ものすごく拡大解釈なのですが、面白いことを思いついたので投下させていただきますね!過去の記事で触れられたように、もし文ストが黙示録的世界なら、いま起こっているヨコハマの混沌も御子のメタファーの人物(55の超越者など)が現れて探偵社にとって良いように綺麗に解決してくれるのではないかと思ったのですが、どうでしょうか?ものあし様のご意見をお聞かせください!


黙示録のメタファー、ちゃんとやらなきゃなぁ~と思いつつ、黙示録を読み解くのがめんどくさすぎて逃げ回っていたんですが…
よくぞお題として与えて下さりました!!
おかげさまでようやく重い腰をあげて着手できたぞ!!
収穫も多いぞ!!!
いつもながら幻覚を見ながらの妄想語りです。
「たぶん作者はそこまで考えてない」ってツッコミ入れられる典型的なやつ。
それでもいいのです。色々想像して遊ぶことに意味があるのだから。
ちなみに私はすごい適当人間なのではっきり言いますが、これは適当な人が書いた適当な考察です。

最初に前置き。
文スト世界にはたぶんキリスト教がちゃんと存在している、と思ってます。(例:ヨハネによる福音書の引用、映画BEASTの車にあった聖書、ストブリの葬儀がキリスト教式etc)
横浜にはキリスト教的な世界観があって、神への信仰もある程度浸透している、終末の到来を待ち侘びている人もいるかもしれない、そういう環境だということだけお伝えしておきます。

それから、私自身はキリスト教の信仰はありません。もしキリスト教徒の方がいらっしゃったら、この先の閲覧はご注意ください。気を悪くしてしまうかもしれません…。

■そもそも黙示録とは

黙示録はヨハネが幻視した終末の光景が書かれている予言書です。人間が苦しむ時代が終わり、最後の審判を経て地上に神の国が実現するまでの過程が書かれています。黙示録の過程は「生みの苦しみ」の過程でもあり、神への信仰を持たない人間を悪魔もろとも地上から一掃するための殺戮の物語でもあります。

■文ストの構造を黙示録に照らし合わせると

文ストには黙示録の象徴が沢山あって、物語の筋道からもなんとなく黙示録のにおいがします。
文ストに黙示録の象徴が組み込まれているとしたら、おおまかな構図はこうなっていそうです。

①神側の人間=ドストエフスキー
黙示録に描かれている終末の「しるし」を顕現させることで、神の国の到来を手助けしている。黙示録では、神側が悪霊に指示をして地上を混乱させたり人々を殺したりするので、それに倣って、神側の人間であるドスは悪霊を従えながら人を殺す。その殺戮は黙示録を滞りなく遂行するために必要な殺戮であり、神の御心に沿うものである。

②悪魔側の人間=異能力者
異能の混沌はDAで赤い龍として表現されていました。「終わりの始まり」「終焉の化身」という言葉からもこの龍が黙示録のサタンであることはほぼ確だと思います。
黙示録では、赤い龍から以下のように二匹の獣とそのしもべたちが生まれます。
赤い龍 →龍の力を受け継いだ海の獣 →海の獣の力を受け継いだ地の獣 →これらの龍と獣を偶像崇拝するしもべたち=666を刻む悪しき者

文ストでもこの流れが踏襲されているような気がしています。
DAの赤い龍=異能力の渾沌そのもの(特異点の上位概念?) →異能力の力を特異点として受け継いだヴェルレエヌ →ヴェルレエヌの力を受け継いだ中也 →異能の力を分配された者=異能力者

こんな感じで象徴とふんわり一致することから、異能力者とは黙示録でいう龍と獣と666を刻む悪魔側の人間なんじゃないかという想定ができます。

主人公たちが悪魔側の人間というとちょっと怖い…と思われる方もいるかもしれませんが悪魔と言っても「キリスト教から見た悪魔」であり、仏教徒などの異教徒たちもこの悪魔に該当しますし、神の信仰よりも自分の思想を大切にする者たちもこの悪魔に該当してしまいます。
キリスト教は自分の価値観よりも神の価値観を大切にするよう求める宗教なので、思想の自由には厳しめだと思います。思想の自由を大切にするのが文豪なら、彼らが悪魔というのは確かにその通りなのかもしれません。
キリスト教の神は支配の神とも言われています。言うこと聞くいい子以外いらない、なのです。
地獄に堕ちようとも、悪魔と呼ばれようとも、それでも思想の自由を選び神と戦う者たち、それが文豪であり異能力者だ、ということなのかもしれません。

■さまざまな象徴

文ストって、たまに突拍子のない展開になりませんか?たまにというか結構な割合でなりませんか?そう思ってるの私だけ?
例えば、ギルド戦で急に一般人を巻き込んで精神破壊を始めたり、急にでっかい龍が出てきたり、世界征服したり。なんでそうなるの?なんでそんな選択をしたの?という疑問への論理的な説明がないまま、急に始まる唐突な戦法の数々。
その裏側に「黙示録で現れるとされるしるし」という共通点があるのかもしれません。
文ストに描かれている敵側の攻撃は表層に現れた点に過ぎず、深いところでは黙示録という一本の筋道で繋がった線になっている、という可能性です。
ということで、黙示録を象徴していそうな部分について見てみましょう。

※ここから先は特に幻覚を強めに見ていますので、信憑性は相当怪しいです。

・ストブリ
「第六の封印を解くと大地が震え、星は振り落とされ、天が消える。(黙示録6:12)」
大地が沸騰し、暗黒球によって天が消失するストブリ。異能金属の星も降ります。黙示録の天変地異を象徴しているような。

・Qによる精神破壊
「第三のラッパが鳴らされると、天から苦よもぎという星が落ち、水が苦よもぎのようになって多くの人が死ぬ。(黙示録8:10)」
苦よもぎには幻覚作用があるそうです。それが水を介して人に精神障害をもたらす、という内容が黙示録に書かれています。
上空で引き裂かれたQの人形が地上にいる人に幻覚を見せて殺し合いをさせるという構図、似ているなぁと感じます。Qの瞳に星が描かれているのも、苦よもぎという星と繋がってて面白いです。

・DAの赤い龍と二匹の獣
先ほど書いた通り。文ストの中で一番わかりやすい象徴かなと思います。

・リンゴ自殺
「第五の鉢が獣の国に注がれると、獣の国は暗くなり、獣の刻印を刻む者は苦痛のあまり舌を噛む(黙示録16:10)」
舌を噛むとは自殺をするという意味です。暗い霧に包まれて、666の刻印を持つ者(=異能力者)が自殺を始めるのはDAっぽい感じがします。
ちなみに苦痛は「悪性のできもの」によってもたらされるらしいのですが、悪性のできものとは「治癒しない傷」という解釈がなされています。消えない傷、それが異能力、というDAのキャッチコピーを連想させてくれますね。

・福地の世界征服
「海の獣の中から反キリストが生まれる。彼は口を開いて天に住む者たちの名を汚す。戦いに挑んでは勝つことを許され、そうして人気が高まった反キリストは全ての民族、国民を支配する権利を与えられる。(黙示録13:6)」
反キリストによる見せかけの世界統治は、福地の世界征服を彷彿とさせます。

・ブラムによる吸血種化
「第五のラッパが鳴らされると、底知れぬ所からさそりのような力を持ったいなごが這い出て、人々に苦痛を与える。刺されるような痛みが襲い、刺された人は人間性を損なう。いなごに襲われた人は死にたくても死にきれず、死は逃げていくばかり。そのいなごの顔は人間のようであり、髪は女のようであり、歯は獅子のようであった。(黙示録9:1)」
吸血種に咬まれて人間性を失った人で溢れる五衰事件。死にたくても死ねないのは吸血種の不死身の特性を表しているような。いなごの容貌もなんとなくブラムを感じさせます。
ちなみに第五のラッパが鳴ると同時に、「一つの星が天から地に落ちる(=天使が堕天する)」という描写もあるのですが、文ストでも吸血種化が起こる前に約一名、天から地に落ちてる人がいますね…。

■七人の裏切り者について

こんな感じで黙示録のしるしが至るところで起こりながらも、主人公たちがそれをぎりぎりで食い止めて、終末の到来を阻止しようとしているわけですが、お題主様の言うように、超越者である七人の裏切り者が味方についてくれたらなと私も思ってます〜!裏切り者たちが裏切っているものは神なのかもしれないなぁとか妄想したり。
黙示録では七人の天使や七つのラッパなど、七をひとつのサイクルとして反復が描かれているので、七人の裏切り者という名称からも彼らが黙示録の象徴に関わってきそうだなと思っています。
七人の裏切り者、今のところ出てきているのは、ヴェルヌだけですかね?SF作家は神を盛大に裏切りそう。どんな文豪で構成されているのか、とても楽しみですね。

■黙示録にもっと興味ある方は…

黙示録全体を要約・意訳した自作の表も貼っておきますので、ご興味ある方はよかったら見てみてください。(文ストに関係ありそうなところ以外、だいぶ端折ってます。)

■横浜=エルサレムの象徴?

ひとつ補足です。
横浜はエルサレムの象徴なのかもしれません。
太宰とドスの会話に「約定の地」っていう言葉が出てきたことがありますよね。白紙の本が封印されている場所が「約定の地」なのかなと思うのですが、約定の地は「約束の地」と語感が似ているので、横浜に約束の地の象徴を持たせてるのかなと考えたりしています。
約束の地は神がイスラエルの民に与えると約束した「カナンの地」のことなのですが、場所はエルサレムです。ユーフラテス川のほとりにあり、かつて存在したバビロンとも重ね合わせられています。
そして黙示録の中にも「ユーフラテス川のほとり」と「バビロン」が出てきますが、これらはエルサレムと読み替えることができますし、さらには横浜と読み替えることもできそうです。
黙示録の舞台の中心地が横浜であり、そこはエデンの園の悲劇を生み出した地でもあり、サタンと悪霊が跋扈する悪の中心地、ということなのかもしれません。
バビロンはかつてバベルの塔があったところで、多様な言語や思想の起源となった場所でもあります。文豪とバベルの塔の物語はなにか関連性があるような感じもしてしまいますね。
横浜がバビロンであり、かつてのエデンの園をも象徴しているなら、そこで文豪たちが思想の自由を求めて神に抗うのは浪漫があるなと感じてしまいます。

すごーい長くなってしまったので、この辺で終わり!
やる気にさせてくれたお題主様には本当に感謝です。
今回も妄想にお付き合い頂きありがとうございました。


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