ストブリと北欧神話の関連性。秩序と混沌について。

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
小説STORM BRINGERのネタバレを含みます。

太宰、中也、十五歳に登場したヴェルレエヌは「古代北欧の奔放な神のひとりのよう」と表現されている。
また門が開いたときにヴェルレエヌの身体に浮き上がるルーン文字は、北欧神話で神々が魔術を使う際に利用する文字でもあり、ヴェルレエヌと北欧神話には多少なりとも繋がりがありそうだ。

ヴェルレエヌの完全顕現体である魔獣ギーヴルは、ストブリの中で、渾沌の王と表現されている。
渾沌という言葉は異能の特異点の先にあるものとして、ストブリのみならず、DAにも登場する。この渾沌という概念はおそらく文ストにおいて重要な概念なので、北欧神話とともに少し深掘りしたいと思う。

北欧神話では擬人化された神々と巨人との対決が描かれている。北欧神話の神々は人間のように欲望を持ち、争いを好む。
神に対立するのは巨人。始祖ユミルから生まれた巨人たちはいわば「悪」の位置づけとなっている。

世界各地にある神話のほとんどでは「善VS悪」という二元論が描かれていて悪は最終的に善によって滅ぼされるのだが、北欧神話では、神と巨人が相討ちとなって両方滅びる結末が描かれており、神と巨人の力は対等である。
そして北欧神話で描かれている対立軸は善と悪ではなく、秩序と渾沌。
巨人は渾沌を巻き起こす者とされている。

目の前に巨人の女が立っているのを見、女の鼻の穴から嵐が飛び出してくるのを発見するのであった。(中略)こういう巨人から荒廃が起る…ただの息吹や、その一瞥でさえが、死を引き起こしうるのだ。(中略)巨人の国ヨツンハイムは不快なものやまどわしで埋まっている。人間がその中へはいると、気が変になって、性質がすっかりちがってしまう。彼は何もかもが見かけとはちがっているので、混乱してしまうのである。
『北欧神話と伝説』ヴィルヘルム・グレンベック著

巨人の一挙手一投足が大地の震えや嵐などの荒ぶる自然となり、混沌をもたらす。
そして巨人とは人間には決して理解できない特性をもった存在なのだろう。
一方の神々は、自然の調和を指揮し、秩序の上に文明を築き上げる者たちであった。

北欧神話での秩序と混沌を一般的な概念に落とし込むと以下のような説明になりそうだ。
秩序とは、法則性をもった自然の摂理や人間が作り出した文明社会であり、すなわち人間にとって「制御できるもの」。あるいは、図り知ることのできるもの。
一方、渾沌とは突然荒ぶる自然や暴走する科学の力であり、つまりは「制御できないもの」。理解することや収束させることができないような、人の手から離れたところで起こる現象。

古来から西洋では、秩序は善であり、渾沌は悪とされた。
そして渾沌をもたらす悪の存在は、竜や怪物といった幻想上の魔獣によって表現されてきたという歴史がある。
それと同じように、ストブリでも渾沌を巻き起こす完全顕現体は幻想上の生き物の姿になっている。

門を開いた状態では、まだ門を閉じる手段が残されているため、人にとって「制御できる秩序」の範囲内にある。しかしひとたび完全顕現体になってしまえば制御不可能な特異点の暴走となり、それは渾沌となる。
DAの竜も「異能の持つ渾沌本来の姿」だとドスが言っているとおり、異能力が渾沌となって人の関知し得る領域の外側に行ってしまったもの。

文ストの物語に突然、竜や魔獣が登場するのは、それが人智から遠く離れた渾沌であることを表現しようとしているからではないだろうか。


参考文献:
いちばんわかりやすい北欧神話(杉原梨江子著)
北欧神話と伝説(ヴィルヘルム・フレンベック著)

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