ギーヴルが魔で荒覇吐が神である理由について

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
小説STORM BRINGERのネタバレを含みます。

ストブリに登場する魔獣ギーヴルと荒覇吐はどちらも同じ渾沌の存在である。しかしなぜ片方が魔で片方が神なのだろうか?

渾沌に対する考え方は、西洋と日本で相反する。
西洋において渾沌は悪魔によってもたらされるものだった。しかし日本では、神が渾沌を巻き起こすと考えられている。
日本古来の宗教である神道は自然崇拝の宗教であり、自然を神と見なす。
そのため日本人にとって、自然災害などの混沌は神の怒りが引き起こす"祟り(たたり)"であった。

超常現象は目にみえないカミが引き起こすもの、という観念が共有されるようになった弥生時代以降の社会では、理解の及ばない出来事を目の当たりにした人々は、そこに託されたカミのメッセージを読み取ろうとした。とりわけ、自然災害や疫病などによる深刻な事態が生起した場合、カミの意思の確認は喫緊の課題となった。人は災害を引き起こしたカミの意図を察知し、カミが求めるものを提供することによってその怒りを和らげ、災禍を沈静化しようとした。
(略)
祟りはすべての神がもつその本質的な属性であり、自身の置かれた現状に対する不満の表明だった。
『日本人と神』 佐藤 弘夫

ヴェルレエヌの渾沌とは悪魔によってもたらされるものであり魔、中也の渾沌とは神の怒りによってもたらされるものであり神。そこには西洋と日本の渾沌に対する宗教観の違いが反映されているのかもしれない。

さらに、竜についても西洋と東洋は対立構造にある。
文ストにおいて異能の渾沌は、竜の姿で表現されている。
荒覇吐については、明確に竜と作中では明言されていないものの、史実の荒覇吐は蛇神だとされる説もあり、蛇と竜は同一の存在であることから、荒覇吐も竜とは決して無関係ではなさそうだ。
魔獣ギーヴルはフランスのドラゴンである。

竜の起源は古く、西洋の竜はメソポタミアのシュメールから、東洋の龍は中国の黄河文明から発生したと言われている。
シュメールの竜は洪水という渾沌を巻き起こす存在であり、英雄によって退治されるべき存在として生まれた。それが後にキリスト教にも影響を与え、ヨハネの黙示録において、赤い竜が悪魔の代表として大天使ミカエルに退治され、火と硫黄の煮えたぎる地獄に投げ落とされる物語が描かれている。
西洋において、自然災害をはじめとする渾沌は、秩序によって駆逐されるべき存在と捉えられていたのだろう。そこには自然を征服しようとする価値観が存在している。

一方、中国の龍も水の神として洪水をもたらすが、それだけではなく干ばつのときに恵の雨をもたらす存在だと伝えられ、最も格の高い聖獣として崇められていた。
中国人は日本人と同じように自然に服従しようとする価値観を持っている。後にその龍の文化が日本にも伝わり、日本でも龍は神聖なものとして捉えられている。

このように、竜と渾沌に対する西洋と東洋の考え方には歴然とした違いがある。
この違いが、ストブリの中で同じ生命体を魔獣と神獣に分けるきっかけとなった可能性は否定できない。
もしかしたら朝霧先生は、異能力というものを通じて、東洋と西洋の価値観の違いや、さまざまな宗教観の対立について描こうとしているのかもしれない。


『日本人と神』 佐藤 弘夫著
『龍の起源』 荒川 紘著

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