敦の持つ生命の輝きとはなにか

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。

映画DEAD APPLEで主人公の敦は「生命の輝き」を持っているが故に、澁澤から異能力の結晶を奪い取られそうになる。

しかし、なぜ敦は生命の輝きを持っていたのだろう?
敦は普通の平凡な少年として描かれているのだが、そんな平凡な彼の何がそこまで特別だったのか?
なぜ敦だけが生命の輝きを持っていて、他の人は持っていないのか?そもそも生命の輝きとは何か?
これらの疑問を紐解くことが、敦を理解する上では欠かせない。
そのために、まずは敦が生きることをどう捉えているのか、という点について考えてみたいと思う。

敦は生きることに対して強い執着を持っている。
BEASTではそれが極端になって、死への強い恐怖として描かれた。それくらい彼にとって生き続けるということは重要なことだった。

死に対する漠然とした恐怖は誰でも持っている。だがその恐怖は、死そのものが怖いというよりも、死が未知のものだから怖い、というよくわからないものに対する恐怖感のような気がする。
だけど人はその恐怖があるからと言って、別に生きることに執着しているわけではない。
個人の生は全体の一部に過ぎないし、大きな仕組みの中の一つの歯車でしかない。だからこそ、太宰などは個人の生へのこだわりがなかった。
でも敦は個人の生にこだわっている。自分の生が唯一無二のものだと思っている。
敦は人を守るためだったら命を惜しまないが、その一方で自分を痛めつけようとしたり、利用しようとしたりする人の前では生きる意志を爆発させる。

自分はこれをやり遂げるまでは死ねないんだ!とか、守るべきものがあるから死ねないんだ!とか明確な理由を持ってるから生きることにこだわっているというケースはよくある。だけど、敦にはそういうものがあるわけではない。
目的があるわけでも夢があるわけでもない、だけどただ生きたい。
理由もなくただ生きることにここまで強い思いを持てることって珍しいことだと思う。
実は太宰みたいなタイプの人のほうが多数で、敦のような思考の持ち主の方が少数なのではないか?
そういう意味では敦は異端な存在なのかもしれない。

普通の人はむしろ生に対する漠然とした諦めのようなものを持っていたりする。
どうせダメだとか、どうせ無価値だからとか、他に代わりはいくらでもいるからとか、自分の生が重要じゃない理由なんていくらでも思いつく。
そういう考えに強く囚われてしまって自ら命を絶ってしまうことだってある。
逆に自分の生が何事にも代えがたいほど大事であると思ったりその理由をつらつらと挙げることって難しい。
人は自分の頭で自分の生が重要ではない理由を見つけ出して、勝手に自分の生に見切りをつけたり諦めたりしやすいものだと思う。

だけどそもそもこんなことを考えるのってヒトだけで、生きる意味とか他の生物たちは考えたりしない。
他の生物たち、たとえば鳩や猫だって懸命に生きている。なぜ生きているの?なんて考えないし、彼らは生きるために理由なんて必要ない。
理由がなくたって、全力で生を全うしている。自分の命を傷つけようとするものにはすべてをかけて歯向かうし、自分の命を諦めることなんてしない。

実はそれが生命の本質なのではないか。
理由もなくただ生きて自分の命にこだわることこそが、生命の輝きそのものなのではないか。
そしてどの生物も生まれながらにして持っているその生命の輝きは、ヒトが大きすぎる脳を持ってしまったが故に、失ってしまったもの。思考を得たが故に、失ってしまったもの。

だけど敦はそれをちゃんと持っている。理由もなく生にこだわり生きるために爪を立てる、というヒト以外の生物がもつ生命本来の輝きを持っている。
DAで澁澤に抗う敦の描写が獣のように見えるのは、虎の異能だからというのもあるが、野生的な生物の本能を表現しているのかもしれない。

そしてヒト以外の生物たちは、生きることを退屈だなんて思わない。(実は思ってるのか?)少なくとも、退屈だからといって、生きることを苦しいとは思わない。思考に囚われることなく、生命本来の輝きをまとったままのヒト以外の生物たちは、退屈から来る苦しみとは無縁なのだろう。

そして思考が罪だと思うドスもまた、人を思考=原罪から解き放つことで、ヒトが再び生命の輝きを取り戻せることを知っていて、実は澁澤のことをよく理解していたのかもしれない。

ではなぜ生命の輝きを持っていたのは敦なのか、という点だが、現時点で推測できるのは彼が虎の異能力者であり、全ての異能に抗う者だから、ということくらいだ。全ての異能(サタン=思考の元凶)に抗う者が生命の輝きを持っていたというのは筋が通らない話でもない。

敦の持つ生命の輝きが生まれ持ったものなのだとしたら、孤児院での辛い過去は彼の生への意志の強さを引き立たせるための描写だと考えられる。どれだけ辛い経験があろうとも、それでも生きることを諦めない強さ。それはどんな生命もが本来持つ本能的な強さであり、また同時にヒトが失いかけている強さなのだ、ということを伝えたかったのかもしれない。

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