【本誌117話】承った 感想&考察
※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
※ヤングエース2024年9月号のネタバレを含みます。
24.08.02感想
受け入れがたき…受け入れがたき今月の本誌……
おお 何故だ 何故だ神よ……!
我等の信仰は無意味か!祈りはかくも無益なのか…!
■光は永遠に
文ストの中で、一番大きな影響を私に与えてくれたのはブラムだった。
ブラムは長すぎる悠久の時間を倦怠とともに生きていた。人間の残酷さに絶望し、世界の無意味さに絶望していた。なにもかもどうでもいいと思いながら目を閉じ耳をふさぐようにして世界を遮断していた。そんなブラムは私の中にあった絶望感と心地よく共鳴し、黒いものを掬いだして煮詰めて外に吐き出してくれるような、深い部分の理解者として存在してくれていた。
そんなブラムがあるとき、娘への忘れがたき愛を明らかにした。すべてに絶望していてなお、ひとりの人間を愛する気持ちだけを手放せずにいたブラムは、言い尽くせないほどの衝撃を私に与えた。どれだけ絶望しようとも、世界に興味がなかろうとも、それでも愛だけは人として手放していけない、あるいは手放したくても決して手放せない唯一のものであると気づかせてくれた。
そのときから、自分の中にあった絶望感は少しずつ少しずつ和らいで、愛する感情を慈しむことで闇を克服できるようになっていった。ブラムは私の中に光を注ぎ続けてくれた。
最期まで、文ちゃんを励ますことを諦めず、自分亡きあとも約束を守ることを諦めず、真の英雄で、真の父で、真の男だったブラム。
愛する家族と再会した幸せそうな姿を見れたことが嬉しくて少し安らぐ。
ブラム、今までたくさんの夢を見させてくれて、本当にありがとう。
これからも何度だって、ブラムに会う為に、ブラムが教えてくれたことを思い出すために、天人五衰編を手に取ってページをめくっていこうと思う。
■やつがれREBORN
「護ると誓ったならばそれは必ず守られる」という先月号のブラムの台詞に「僕、約束は守る」の芥川節が隠されていたということらしい。
「承った」のやつがれが、今までのやつがれとなんだか全然違う男のように輝いていて、ブラムの意志を引き継いだことで真の強者となるために一歩歩みを進めた感じがする。敵を切り刻むための強さから、護るための強さへ。
吸血種という仮死を経て、新たなる男に生まれ変わったやつがれがとても頼もしく見える。
アニメ61話によれば、芥川はこのあと近未来的なかっちょいい衣装にお着替えをする予定なのだが、そのお着替えがどういうなりゆきで進むのか興味深すぎてにやにやがとまらない。
ブラムが精神の残滓を送り込んだことで芥川だけ吸血種化が単独で解除されたようだけど、芥川以外の吸血種はまだ解除されずにいるということでいいのかな?そしてブラム亡きいま、吸血種というのはそもそもどういう風にして解除されるのかよくわからなくなってきた。
ドスくんが大指令を通じて「解除」という命令を出したら解除されるのだろうか。だけどドスくんがそんな命令を出すはずもないし、吸血種の上司たる存在はドスくんだけなので、どん詰まりの予感。
太宰さんの異能無効化は触れることでしか発動しないから、軍の1/4をも占めるほどの人数の吸血種化解除は現実的ではない。なにか劇薬のようなアイテムや異能に頼りたくなる。例えば白紙の本の裏頁を使う…とか…ね…
ドスくんを殺す=ブラムの肉体を破壊することでしか吸血種化が解除されないのだとしたら、やはり最後はドスくんを殺せムーブメントに繋がっていっちゃうかな。はあ。
■色即是空おじさん
神人喋れるんかいな!と興奮して見ていたら、この神様、空なり空なりを繰り返す空虚タイプの神様だった。
全一の神様が可視化されているということは明らかなる偶像であり、割とまがいもの感があるよね。そこがドスくんの手下らしくていいところなんだけれども。
見た目は神道でありながら全一を名乗る唯一神であり、それなのに言っていることが仏教っぽくて色んな神様詰め合わせになってるの楽しい。
色即是空は結構好きな考え方だったんだけれども、空なり空なり言いながら人殺しされるとなんかわからんけど腹立ったところが個人的におもしろかった。
文ストに出てくる神様といえばもうひとりは荒覇吐だけど、あっちは人格を持たない獣で無作為に破壊する感じの本当に純粋な力の塊だった。どっちも空虚な感じや人間の命になんの価値も見出さないところは似ている。でもこっちの神様は人格(のようなもの)を持って喋るぶん、畏怖の念わいちゃうところが危険だよねえ。神様ならばこの命捧げて差し上げましょうってなって、闘志がしぼんであきらめがち。
そんでさ、空なり空なりで国木田さんが泡になっちゃったんだけど、燁子さんのときとちょっと違うの気になりません?
燁子は神人に刺されたとき、まず最初に液体化したのよ。ドロッて。そのあとに泡になったのよ。
でも国木田さんは液体化せず、すぐに泡になっている。この違いが気になる。
考えられる可能性①:国木田の泡化は、谷崎の幻像である。それゆえに幻像の再現性に不備があってこうなっている。
考えられる可能性②:燁子の肉体は、異能による人体改造を施されたものだったので、その影響で溶けた。
可能性①に期待したいところだけど、どうなんでしょうね!
燁子にはほんの短いものだけど過去回想があったことで、死の印象がより確かだったし、死が救いになるパターンだったので受け入れられたけど、今回の国木田さんのはちょっと違う感じだからね。まだまだ希望は捨ててない。
「理想」が地に落ちたのが印象的だったけれど、あまりにあっけなかったので、手帳にもうひと踏ん張りしてほしい~!
■戦ってはいけない理由
一瞬にして背後とってくる神人ほんとにぞくぞくしてかっこよかった。やはり空間の跳躍も時間の跳躍も能力として持っているらしく無敵すぎる。神人の魅せ方もうまくて強キャラ感がすごい。目も!出で立ちも!のっそりと人間に覆いかぶさるような巨大な存在感も!興奮するー!刀がなんか長くみえるのもすこぶるかっこいいよね。谷崎くんを串刺しにしちゃえる長さがいい。宙に浮いててちょっと天使っぽく見えるからコロッといってしまうわ。
敦くんがいった「絶対に戦っちゃいけない!」ってのがなんか意味深だったの気のせい?戦っちゃいけないって念押ししている理由、勝てないからとか社員の命が危険だからという理由以外にもなにか裏の理由があったりするのだろうか。
神人を斃したらなんか大変なことが起こるとか、人の命を吸うごとになにかが起こるとか、とにかく逃げおおせるのが一番の良策であり最適解である理由がなにか隠れててもおかしくなさそうよね。
いやはや。読んだ直後はお腹の中にずっしりと黒いかたまりのようなものができていたけど、ぐっすり眠って再読したら、おや?結構あたたかみあるではないか!って気分になってきたので、無事感想投稿できました~。
最近ページ数多いので、処理しなければならない情報量がおおくて、あっぷあっぷしながら書いておりますが、なんとかついていけるぎりぎりのラインを維持しております。
ひとまず今月はストクラの皆様のご健勝をお祈りして締めくくりたいと思います。
24.08.06追記
今回の追記はちょっと楽しい情報共有になりそうです。
まずは神人について。
今回「吾は全一であり無であり、有なり無なり」「空なり空なり」となかなかに強烈な存在感と超越的な宗教観を見せつけた神人ですが、個人的には「私はコイツを知っている…!」と感ずるところあり。
一体どこでこういう神様を見たのだろうか…と記憶の中を探ってみたところ、到達したのがこちら。
お、お前か…!お前だったのか…!
ドスくんが生み出したの、究極で最強の邪神だった説。
こちらのヨグ=ソトース様ですが、時空間を司る神でもありますので、いかなる時間・空間にも自らを接続できるし、矛盾を無視して空間を拡大縮小したり、時間を永久的に逆に流れるようにすることも容易いらしい。
神人が国木田の背後に瞬時に移動したのも、空間の跳躍と言われていたけどA地点とB地点を空間接続するというような神業によって為されているっぽかった。
もし神人のモデルがヨグ=ソトースで、同じような能力を持つ存在として設計されているのなら、時間に関しても自由自在のはず。特異点生命体のエネルギーが無限である以上、永久的に時間を逆巻きにすることだってまじでできちゃうのかもしれない。
ヨグ=ソトースは虹色の球体が集積しているような見た目をしているそうなので、剣で刺された人が泡のようなものに変化している現象は「ヨグ=ソトース化」とも呼べる現象で、空虚へと肉体が回帰することを表しているとも言える。
どう考えても兼ね備えているヤバさが尋常じゃないので、こりゃもう本当に諦めて帰って飯食って寝ようぜって話よね…
さらにはこのヨグ=ソトース様、「門にして鍵である」とも形容されているので、敦くんや白紙の本に関連してなにか重要な立ち位置にいる可能性も無きにしも非ずかもしれない。
さて、そんな絶望的な強さを誇る神人ですが、海外の方の考察が今月はすこぶる面白かったので、次はそちらの紹介に移りたいと思います。
まずはRina様の考察から。
ポストモダニズムの観点も絡めた高尚な考察をしてくれています。二項対立にスポットを当てて解釈していて興味深々。私ももうすこし勉強してからポストモダンに絡めた考察をしてみたいなと思うので、またいずれ記事立てます。
今回は本誌の話なので簡単にこの考察の結論だけ紹介すると、今の本誌の展開は、時空間を自由に行き来する「あらゆる可能性を持ったすべてである神人」と、「すべての可能性が内在している白紙の本」の二者の衝突をドスくんが目論んでいて、このふたつが衝突するとギーヴル&荒覇吐の衝突のようにエネルギーが相殺されて無になる、という話。
つまり神人とは、白紙の本を無にかえすための捨て駒的存在であると。そして白紙の本を無にするということはすなわち文スト世界の消失であり異能力者の消失であると。(難しい話だったので勝手にこう解釈した)
この説、すごい面白いと思うんですよね。
神人に込められた文学的な象徴の話や、神人という存在そのものがポストモダン文学的なエネルギーを兼ね備えているという論考も興味深かったので、よかったらGoogle翻訳など使ってみなさまもぜひ読んでみて下さい。
もう一つの説がこちら。
燁子と国木田は刺されて泡化しましたが、それぞれ「アイテム」が残っている。燁子の隊服と国木田の手帳、どちらも彼らの異能力を象徴しているのではないか、というのがこちらの説です。(服には「成長」という象徴の意味があるらしく燁子の年齢操作を表している可能性)
つまり、彼らの肉体は死んだのではなく、異能力から分離されて人質として神人の中に格納されたのではないか、異能をなくすのがドスくんの目的なのでドスくんは目的通りのことをしている、というのがこちらの考察でした。
これも面白いですよね。空なり空なりで己のアイデンティティが分離するということなので。確かに空の世界に我は無いので、空へと回帰することはその過程で異能力を削ぎ落としていくことになる。坐禅組んで我欲を捨てるのと同じような感覚で、異能力者は神人によって異能を消されているのかもしれない。これもとてもそそられる仮説だと思いました。
ということでみんなの考察が良すぎて満足。翻訳して要約するだけで成り立つ記事って楽ちんすぎて喜ばしい。
またなんか思いついたら追記します〜。あとブラムと文ちゃんのとこも気持ちの整理ついたらなにか追記するかも。ひとまず今回はこの辺で。
24.08.12追記
いつもそう。いつもそうなんだ。本当にいい男に限ってあっという間に旅立ってしまうんだ。
織田作だってランボオだってそうだった。適度な温かさとまっすぐな性根を持ったいい男はみんな、人生の最期に吐き捨てるかのようにして人を救って去っていく。
後腐れもなく遺恨も残さず、きれいで大事なものだけグイっと人に押し付けて消えていくんだ。
有無も言わさないし、止める隙も与えないし、そういうときだけ恐ろしく身勝手で、チキショウこの野郎まちやがれー!ってこっちがいくら叫んでも待っちゃくれない。あがこうとしたって、完璧なまでに研ぎ澄まされた死への意思を前にして結局は言葉をなくして佇むしかない。悔しい。許したくない。なんでよりによって彼らじゃなきゃいけないんだ!って叫んで暴れまわりたい。
確かにブラムは長く生き過ぎたのかもしれない。天国から迎えに来てくれた家族の幸せそうな顔が息をのむほど美しく輝いていて、祝福せずにはいられなかった。
それに不死身のブラムにとって、今は文ちゃんという護りたい存在がいるにしても、数十年と時が経てば、文ちゃんの方が先に歳を取り死んでしまうのだから、未来を考えたときの苦悩は多い。であるならば、やはりこの死は神の恩寵であったということなのだろう。
わずかばかり顔を綻ばせたブラムの微笑が、彼の胸中にあった答えの全てであったと受け止めて、(結婚したいと思っていたほどに)ブラム推しだった私の気持ちも一旦は落ち着いている。
しかし、ブラムの過去回想の中で、想像した以上に自分の中に深く傷跡を残していった部分があった。
恥ずかしげもなく大人げもなく醜態を晒して告白すると、私はブラムの愛娘に対して憎しみを感じてしまった。憎くて憎くてしょうがなかった。まるでなんの不安も苦しみもなく、心底幸せそうな表情でいることに驚いた。目をきらきらと輝かせた屈託のない大きな笑顔を見て、全身が凍り付いたような気持ちがした。
こういう表情は、なにもかも不自由なくすべてが満たされている子にしかできない表情だ。文ちゃんは、こういう風には笑わない。文ちゃんの顔には、いつも苦しさと抗いと真剣さが浮かんでいる。満たされなかった者、持たざる者の陰りがいつだってある。
同じ顔立ちをしていてこれだけ表情が違うと、それによってイヤという程くっきりと「与えられたものの違い」を意識させられる。
だから正直なことを言うと、ブラムの愛娘が無残な死に方をしている姿を見て少し安堵した。ああ、神様はやっぱり公平だったのね、と。そういう感情がどれほど醜悪なものか自覚しながらも、そう思うことでしか文ちゃんを擁護してあげられなかった。
いい事も悪い事も、半分ずつ。
馬鹿げた期待のような気もするけれど、文ちゃんにはこれから残りの半分、良い方の半分が惜しみなく降り注いでくれることを願わずにはいられない。
其方自身が騎士となれというブラムの励ましは、きっと文ちゃんが父親からもらいたかった、一番欲していた言葉で、その奇跡のような言葉によって文ちゃんは自分の全存在を許してもらえたような気がしたのではないだろうか。
誰かを護る騎士の誓いは芥川を介して、これからも文ちゃんに届けられていくだろうし、護られる存在から次第に護る存在へと、「護る」という行為の実感の中で成長しながら、正義と英雄への道筋を文ちゃんらしく辿っていってくれたらいいなと思う。
今回はなんというか、ほんとに大きい回だった気がする。芥川の変化も含めて。
なんだろう、適切な言葉が思い浮かばないけど...「キャー!」って黄色い歓声で狂喜乱舞して夢見る気分を味わうのよりもはるかにずっしり肉厚なものを残していくのが文ストってわけなのよ。わかるかな、この感覚?
厚みたっぷりジューシー肉厚なの。肉厚な分、溢れ出る肉汁から血も滴るけど、でもそれだけ手強くて旨いんだ。
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