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ドスくんの世界認識について(お題箱から)

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
※Twitterのお題箱に頂いたお題への返信です。

頂いたお題はこちら:
こんにちは、お題箱失礼します。ドス君についてです。ものあしさんのドス君についての考察記事、興味深く読ませていただきました。とても面白かったです。
そこでひとつ、ものあしさんのお考えをお聞きしたいのですが、ドス君の一般人に対する認識はどのようなものだと思いますか?彼の考えでは異能というのは罪であるように思われますが、異能を持たない一般人もやはり人間である以上罪深き者だと認識しているのでしょうか?
DA小説版には赤い霧に覆われた死の星となった地球こそフョードルが求めていたものとありますが、ここでは異能者のみならず一般人も消えていますよね、彼は誰もいない世界を求めていて、人間そのものを滅ぼしたかったのでしょうか?

しかし本編において彼が白紙の文学書を求めているのは今のところ罪、異能者のいない世界を作りたいからですよね。が一方、本編の手榴弾の子供やAの部下を殺す場面では罪の軛より解き放たれ魂に救い的なことを言っていたような気がします。人間はみな異能の有無に関わらず原罪があり、特に異能者はより罪が重いという考え方なのでしょうか。わかりません、、どうお考えですか?ぜひご意見を聞きたいです!

また本来のキリスト教はイエスの受難によって人類の罪は贖われたという考え方だと思いますが、この世界だと(ドス君目線だと)それだけではまだ足りない、まだ人は罪深いという認識なのでしょうか。あまり宗教には造詣が深くないため的外れなことを言っていたらすみません。

最後にドス君は自分のことをなんだと考えているのでしょうか。ただ神の意志に従って(それが神の意志だと思い込んで?)成すべきことを成していると思っているんですかね。自分は非凡人であるがゆえにそうしなければならない!という思いがもし仮にあったとすればその考えは罪ではないのでしょうか。自分は選ばれたと思っている?並外れた知性、自分の持つ異能は罪ではない?罪とは思考ではないのか?ううん、、、混乱してきました笑

長々と書き連ねてしまい申し訳ありません。アニメ四期楽しみですね!天人五衰事件がどう描かれるのか気になりすぎて夜も眠れません。本編(私は単行本派なのですが)もいいところですよね。結末が楽しみです。ほんとドス君沼が深くて困ります笑。
最後まで目を通していただきありがとうございました。お時間あるときなどにちらっとお返事していただければとてもうれしいです。


お題を頂きありがとうございました。
とても深いお題でしたので、回答するにあたり、色々なことに想いを馳せることができました~!
以下、それぞれ回答させて頂きます。

ドスの一般人に対する認識

ドスの一般人に対する認識は「憐れみ」なんじゃないかなぁ~というのが個人的な見解です。
人間が原罪をはじめとする罪を負っているのは、悪魔ありきなので、そういう意味でも人間のことを哀れな被害者だと思っているんじゃないでしょうか。
だからこそすべての元凶である悪の存在を滅ぼそうとする、その一方で人間には苦しみからの解放という優しい救済を与える、ということかなと思っています。
異能力者を悪だと考える理由があるはずなので、その理由が何なのか、というところが鍵になりそうです。

一般の人を憐れむ一方で、目的のためなら善悪問わず躊躇ありませんから、必要ならば迷わず殺しちゃうんですけどね....

罪の軛、とは原罪のことだと私は考えています。もちろんそれ以外の罪もあると思いますが、あれほど幼い子供が抱えている罪といったら原罪くらいじゃないでしょうか。

DAで一般人たちが消えている間、みんなどこに行っていたんでしょうね…
乱歩さんにその時の経験を語ってほしかったですが、少なくとも死んでないということは、どこかに避難させていたということだと思います。
もしかしたら、ドスは人間そのものを滅ぼそうとしているわけではないのかもしれませんね。
しかし罪を負ったままの人間では可哀想なので、罪のない新人類あるいは新時代を築きたいと思っている可能性はありそうです。

キリストの受難による原罪の償い

キリストの受難で確かに原罪は一度清算されたかもしれませんが、悪をもたらす元凶である悪魔や堕天使たちが地上に居続けている限り、新たな誘惑は生み出されます。
彼らにそそのかされた人間が再び罪を食べるという構図が消えていない、つまり地上でエデンの園が再現され続けている、ということなんじゃないかなと個人的には考えてます。
実際、戦争をはじめとする終わりなき悪は続いているわけで、悪の原因をこの地上から一掃しない限り、神が作ろうとした楽園は実現しない、って考えていそうです。

ドスは自分のことをなんだと考えているのか

これについては私もまだ悩んでいてはっきりとした答えは持ってないんですよね…ほんと何だと思っているんでしょうね。

ドスの原型になっているであろう『罪と罰』の主人公のケースをもとにちょっと考えてみました。
主人公ラスコーリニコフが老婆殺しという犯行を行うまでの過程について、研究者の方がこんな風に表現しています。

あたかも神が、「道をお示し」になるかのように、運命の歯車が狂いはじめるのだ。神と運命がもしも別ものであり、運命を操る能力が神にあるとすれば、もはや神の意志としかいいようのない偶然が、彼の行動を支配し、翻弄していくことになる。
『罪と罰』ノート 亀山郁夫

ラスコーリニコフは偶然の積み重ねの中から神の意志を見出していたようなので、そのことがドスくんに反映されているのなら、ドスが犯行に至るのは「異能力と超人的な頭脳を併せ持ったという偶然を、神より与えられた運命だと信じ、使命を成し遂げようとする」からだという見方もできます
非凡人として善悪を超越する権利があると錯覚する悪魔的な傲慢さがある故の思想ですよね。

罪と罰の主人公が老婆殺しをした時と同じように、神による導きとしか思えないような偶然の重なり合いが彼を突き動かしているのかもしれません。
積み重なる偶然の中からドスがその意志を読み取っている、ということはドス自身が偶然に意志という意味を与えているにすぎないので、「あいつの売りは偶発と不条理だ」という太宰の反論は核心をついていた、とも読み取れます。

一方、別の考察で書いたようにまったくの偶然などではなく、ドスの中には実際に天使や堕天使が存在しているっていう可能性もなくはないので、そのあたりは今のところ受け手の解釈次第かなぁと感じています。

以上、素敵なお題を頂きありがとうございました!
四期楽しみすぎますね…!
五衰大好きなので、彼らが動いて喋るという現実に果たして耐えられるのか…ムルソーでの対談を見て正気を保てるのか…今からどきどきしています~!

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