重力兄弟は陰と陽のごとく正反対の存在

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
小説STORM BRINGERのネタバレを含みます。

ストブリにおいて、中也は人工的な存在である自分には心臓(=心)なんて上等なもの似つかわしくないと思い、怒り以外の感情を抱かなかった。
しかしヴェルレエヌはそうは思っていなかった。
ヴェルレエヌは中也に対してこう言っている。

「お前の心に関わる人間を、全員暗殺する。」

文豪ストレイドッグス STORM BRINGER

つまりヴェルレエヌは中也に心があると思っている。
裏を返せば、中也に心があるならヴェルレエヌ自身にも心があると思っているのだろう。そのためか、ヴェルレエヌは感情が豊かであった。

ヴェルレエヌは決して心を持たないことを嘆いていたわけではない。孤独であることを嘆いていた。無意味な生を嘆いていた。
二人が持っていたもの、持っていなかったものを見比べてみると、見事なまでに正反対なのがよくわかる。

中也は、心や感情はなくとも、大切な組織や仲間がいて、その中で自分の果たすべき役割を果たすことができればそれで十分だと考えていた。
それに対して組織や仲間に頼ることなく、一人さまよっていたヴェルレエヌ。
ヴェルレエヌが欲していたものを、実は中也は持っていたのではないだろうか。
しかし、ひとつだけ二人とも持っていないものがあった。それが「生きる意味」。

人間であろうとなかろうと、生が無意味なのはきっとみんな同じなのだ。
ヴェルレエヌは別に人間じゃなかったから無意味な生を与えられたわけじゃない。そもそも太宰は人間だけど自分の生を無意味だと思っている。問題は「人間かどうか」という点じゃないのだろう。

中也は無意味な生を上手に生きている。感情に振り回されることなく、深く考えすぎることもなく、命と仲間を大切にし、自分の義務を果たす。とてもシンプルだけど、お手本となるような潔い生き方だと思う。
しかし生きる意味を求めて悩み、あがき、迷い続けることは人間の特権であり、それが人間臭くて愛らしいという一面があるのも事実。

その両方を描き切ったストブリという超大作は、人間という存在の本質を、人間ではない存在たちの立場から描いた画期的な作品だったのではないだろうか。


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