〈DA考察③〉澁澤が集めていたのは人の罪

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。

史実の澁澤は、悪魔学やサディズムに精通し、人間心理の暗闇について数々の鋭い評論を世に出した。

本来、人間の暗い部分は蓋をして見ないようにしたり、闇の中に隠しておいたり、解像度を下げておこうとするのが一般的な心理。だからこそ、人間の暗い本性についてほとんどの人は未知のままだし、逆にそれが人間という生物のミステリアスさを形成している。しかし澁澤はそれを闇から引っ張り出し、全てをつまびらかにし、秘密の花園のように隠されていた人間の神秘的な部分を容赦なく解剖し尽くした。
それ故に、神秘性を失った人間という生物は澁澤にとって「見知った機械の詰まった肉袋」になり果て、全てを知りすぎた故に退屈極まりない存在となってしまった。

このところ、新しい海波の小説に目を通してもさっぱりおもしろいものがなく、古本のページをめくっても昔のように胸がわくわくすることもなく、どうも天下の形勢が退屈でやりきれないような気がするから、退屈しのぎの暇つぶしにもっぱらコレクションということをやっている。

『ドラコニアの夢』 澁澤龍彦

史実で古今東西の書籍やオブジェをコレクションしていた澁澤は、DAで異能力をコレクションした。
異能を収集するということは、人の感情や思想を収集するようなもの。いわば原罪のコレクション。
そうして異能を収集するうちに、澁澤は原罪の王たる存在となった。
異能を一つ集める度に、人間の正体について知ることが増えていく。
古今東西の異能を集めれば集めるほど、人間の思考と罪を突き付けられる。
すべてを知りすぎた澁澤にとって、人間は実に退屈だった。
思考の造り出す狭い檻の中でみな似たようなことを考え、似たようなことで苦しんでいる。
そしてそれらばかり眺めていた澁澤自身もまた、その檻の狭さに辟易し、退屈という苦痛に苛まれていた。
檻の外の世界はきっとここよりもずっと楽しいのだろう。

そこに虎が一匹。無条件に生命力をほとばしらせながら、檻の外を駆け巡る。
檻の外にいる彼に触れれば、外の世界を感じ取れるかもしれない。
そうして手を伸ばした澁澤は虎の放った生命力によって、切り裂かれた。

澁澤の異能の発端は、人間の罪への尽きない興味だったと思われる。純粋な知的好奇心を追求しているうちは楽しいけれど、知り尽くしてしまった後には灰色の退屈な世界しか残されていない。
人の原罪をかき集めた後に残されたのは、思考しすぎたことによる苦悩、つまり原罪による苦悩だけ、というのはなんとも皮肉な結末。

原罪によって生まれる苦しみは、死によってしか救われない。
だから澁澤は、原罪を負っていない天使である虎に、死を与えられる必要があった。
異能さえも消し去ってもらわなければ澁澤の苦悩は終わらない。
そしてそれができるのは異能を切り裂ける虎だけ。
それが澁澤の唯一の救済方法だった。

虎に食われるということを、それほど残酷なことと考えたりしてはいけない。むしろごく自然なことと思わなければな。そもそも人間が天地から生を享け、死んでふたたび天地へ帰るものとすれば、なまじ冷たい墓なんぞへ埋められるよりも、おのれの肉をもって餓えたる虎をやしない、そのまま虎の一部となって天竺へ一路ひたばしるほうが、よほど自然の理にかなっているとは思わないかね。お釈迦さまだって、餓虎投身という立派な模範をお示しになった。もういまから、わたしはまだ見ぬ羅越の虎、やがてわたしを食うであろう羅越の虎に、なんといおうか、そくそくとして親愛の情を感じているくらいだよ。

『高丘親王航海記』 澁澤龍彦

史実の澁澤が自身の死を重ね合わせながら書いたとされる遺作『高丘親王航海記』。彼は虎に食われる最期を理想的な死として描いた。
そしてDAで澁澤は、敦という虎に自らの生命を託した。
敦は澁澤の命を受け取って白虎の命の糧にし、生命の輝きを見せることで澁澤を理想郷へと導いた。
おそらく史実の澁澤の望みに近い形で、命の交換が描かれたと思う。
澁澤の救済、そして史実の澁澤龍彦という人物のキャラクター化は、DAでのこの形以外あり得ないと思うほどに、美しく完成されていると感じる。

もとは動物だった人間。
思考の牢獄の中に自ら入り、囚われの身となった。
思考が造り出す狭い虚構世界をさまよい、苦しみとともに生きることを選んだ。
だが私たちはそれと引き換えに「上等な生物」という立ち位置を獲得したのだ。
他の生物よりも賢いという優越感。獣ではないことの矜持。
動物だった頃の記憶なんてとっくに捨てた。

だけどもし。
もう一度この牢獄から出て、何にも囚われていなかった頃の感触を思い出せたなら。
生命力がただただほとばしっているだけの、純粋な存在に戻れたのなら。
生きるという行為がもたらす感覚を、何にも邪魔されずにこの全身で受け取れたなら。
そうしたら初めて、自分の命の輝きを、真の意味での喜びを、存分に感じることができるのかもしれない。
そんなユートピアを澁澤は夢見ていたのだろう。

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