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ドスくんの連絡手段と異能生命体について(お題箱から)

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
※お題箱に頂いたお題への返信です。
※単行本24巻のネタバレがあります。

頂いたお題はこちら:
ものあし様、いつも楽しみに更新される記事を読ませて頂いております。前々回、斗南司法次官について質問をさせて頂いたものです。
 「ドスくんは「罪」と「罰」の二人いるらしい」、とても興味深く読ませて頂きました。
 そこで、前回の記事で触れられていなかった点に疑問を持ち、質問させて頂きたいと思い、再び質問箱に投下させて頂きました。
 内容は、ムルソー内での連絡手段についてです。

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◆太宰さん
 自身の心臓の拍動を、自在に操り、心拍数をメッセージとし、それを政府権限で安吾さんが解読し、探偵社・味方陣営に指示を出すという方式。

◆ドス君
 現在まで不明……だった筈。
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 もし、『罪と罰』の異能力が二人に分裂する内容を含んでいるのであれば、捕まっているドス君の他に、異能力のドス君をムルソーの外に配置(あるいは捕まったのがそもそも異能力のドス君だった可能性もないとは言い切れない)し、連絡手段にするということを取ることも可能ではないでしょうか。異能力が自我を持つケースは存在しますし、何らかの形で意思疎通を図れるとなれば、簡単に、かつ、誰にも気づかれないように外部とやり取りができるのではないかと思います。
 この連絡手段の件について、お考えになっていること、あるいは過去記事から進展があったことがありましたら、お答え頂けたら幸いです。


お題を頂きありがとうございます!
ドスくんの連絡手段、なかなか明かされませんね。

■共喰いを思い返せば…

共喰いのときの連絡手段は音楽でしたよね。
ムルソーでは本をめくったり指で落としたりしていたので、その動きがなにかの合図や暗号となってメッセージを伝えていた可能性も考えられます。逆に届けられる本にもなにか意味合いが込められていてそれがそのまま外からの情報を受け取る手段だったというのもありえるかなあと。
こんな感じで、共喰いに倣えば、ドスくんは本を経由して情報伝達していたと考えられるでしょうか?
しかしドスくんが本を読んでいるのは18巻の天空カジノ戦まで。それ以降はどうやら本を読んでいないらしいのですよね。(私が見つけられなかっただけかも)
吸血種の感染開始以降はムルソーに吸血種警備員が忍び込んでいたので、その関係で本を必要としなくなったのか、それとも手札を動かす必要がなくなったのか、そのあたりは謎ですね。

■異能生命体による情報伝達

分裂した異能生命体を通じた情報伝達という説は相互さんたちがお話してるのを見かけたこともありますので、仮説としては有力なのではないでしょうか?しかしこの説には個人的にとても気になっていることがありまして…
前に「ドスくんは「罪」と「罰」の二人いるらしい」で書いたことの繰り返しになっちゃいますが、大事なことだと感じるので頑張って語りますね。

まず、主が健在な中で独立して動く異能生命体というのは、異端のはずなんです、普通じゃないんです。
人の自意識は普通ひとつですよね。なので、異能が自意識を持ったら主の自意識は消えていくし、逆にいえば主の自意識が消えて初めて異能が自意識を持ち始める。これが、55minのガブであり澁澤だったはずです。つまり、主と異能はひとつの自意識を共有している。
なので、主の自意識と、異能の自意識が同時に存在するっていうのは、すごい特殊でなにか重大なからくりが隠されていないと起こりえないことだと私は個人的に思っています。

DAで異能が分離したときに、主と異能がそれぞれ別行動を取っていたので一見分離した異能にも自意識があるように見えますが、あの時の分離した異能は澁澤の霧のコントロール下にあって、「主を殺せ」という命令によって自意識を持たずに動いていたはずです。なので霧によって分離した異能にも自意識はなかったと言っていいと思います。(ドスくん以外は)

二重人格というのもひとつの自意識の中に存在しているはずなんです。ひとつの自意識の中でみる幻覚であり、そこにもう一人の自分がいると脳が錯覚しているだけなので、もう一人の自分は自意識を超えたところにいるわけではない。
白ドスくんが登場したときも、「異能が主の自意識を乗っ取っていた」風の演技がなされていたので、二重人格というのはひとつの自意識の中に二者が存在し、立場を奪い合っている、そういう状態のものだと考えられます。
主の意識があるときには異能の意識がないし、異能の意識があるときには主の意識がない、これがよくある普通の現象であり、24巻で描かれた二重人格のパターンでもありました。

となると、ドスくん本体にも意識があり、異能生命体のドスくんにも同時に意識があるという状況はまったくもって次元の異なる現象と言ってもいいのではないでしょうか。
それぞれに自意識を持っているならふたりはもはや別の存在といえます。自意識はそれひとつで世界を形成しますし、自意識同士の間には大きな隔たりがある。私とあなたの自意識の間には絶対に越えられない壁がありますよね。温かく湿った地獄である頭蓋骨を誰も超えて出ることはできない。
だとすると、自意識がそれぞれ別に存在している者同士の意識が常時繋がっているということも考えにくいのではないでしょうか?

主から独立して自由に動いている異能生命体がいたとしたらそれを本当にドストエフスキーと呼んでいいのか?それはもはや違う誰かになってしまうのではないか?逆に、自意識がふたつあるからこそ、異能をふたつ持てるのではないか?
「ドスくんの異能は自律する独立した異能生命体である」という説は、完全に理を超越している仮説なのだと思います。

ちなみにドスくんの異能が異能生命体であることによって、きれいに説明できることがひとつあります。
ドスくんが触れて人を殺すときに「憑依して殺しているのではないか」という案を相互さんからお聞きしたことがありますが、もし異能発動が憑依によるものだったら、異能者にだけドスくんの異能が効かない理由がわかります。
異能者はすでに自分の異能生命体に憑依されているので、ドスくんの異能生命体は異能者には憑依できない、だから異能が発動しない、そう考えたら納得いきますよね。

ちょっと脇に逸れましたが、自意識がふたつある以上は、情報の伝達は物理的な手段によって行われなければならず、たとえ異能生命体が不可視であったとしても無限賽室を自由に出入りすることはできないので、異能生命体を介した情報伝達は想像するほど容易くはないかなあというのが、私なりの答えです。
色々と前提条件を仮定して置いているだけですので、前提条件が変わればもちろん答えも変わります。一旦はこんな感じかな?ということでご査収くださいませ。

異端異端といってきましたが、毎度懲りずに叫ばせてもらうなら、「あの男はドストエフスキーの真似をして私たちをすっかり騙そうとしている生身の悪魔なのよっ!異能生命体の方はドストエフスキーかもしれないけど、生身の方はドストエフスキーじゃないわっ!化け狸なのよっ!」っていういつもの妄想に結局は辿り着いてしまうのでした。私が見ているのって幻覚かしら?

お題を頂きありがとうございました!

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