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文スト23巻の考察

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
単行本最新巻のネタバレを含みます。

■各話の感想・考察はこちら

(お時間ない方、効率よく把握したい方はリンク部分を飛ばして、下にスクロールしてください。感想考察をまとめた内容を記載しています。)

【本誌100.5話】賢治の異能力について
【本誌101話】ムルソーの今後の展開について
【本誌101話②】再びムルソーの今後の展開について
【本誌102話】人外魔境 其の壱 前編 感想&考察
【本誌102.5話】人外魔境 其の壱 後編 感想&考察
【本誌103話】人外魔境 其の弐 前編 感想&考察
【本誌103.5話】人外魔境 其の弐 後編 感想&考察
【本誌104話】二福 前編 感想&考察
【本誌104.5話】二福 後編 感想&考察

■23巻感想・考察まとめ

各話の感想にほとんどすべて書ききってますが、お時間ない方用にまとめてみました。

1.ムルソーの今後
・太宰は時間停止の異能者を味方につけることによって以下のことが可能になる
①ゴーゴリゲーム中に時間が止まれば、毒と解毒剤を入れ替える隙ができる
②時間が止まっている間に中也のもとに行き、中也に触れて眷属化を解くことができる。太宰が中也に触れている間、誰にも知られずに二人は会話が可能
・ドスが太宰のこれらの行動を予想しているなら、解毒剤以外の方法で解毒することを模索するはず。重水には酵素反応を止める作用があるようなので、ドスは解毒のためにあえて重水に入った可能性あり。
・中也はおそらく汚濁が使えない。汚濁は周囲を見境なく破壊するので、ムルソーという施設の中においてはリスクが高すぎる。
・ムルソー側の目的は初めから「シグマと中也の交換」だった可能性あり。
・太宰は犯罪歴が公になってしまったために、探偵社には戻れない可能性あり。
・中也の敵側への潜伏は森さんの作戦の可能性あり。
・「殺す」「斃す」「倒す」の3種類がおそらく意図的に使い分けられている。

2.ブラムと聖剣
聖剣を抜いて封印を解いたら世界は暗黒に包まれる、と言っているので聖剣を抜いたとしてもブラムは本人の意思で異能を制御できるわけじゃない。ブラム本人には異能を制御する力がない可能性がある。

ブラムは元人間であったが、自分の異能で吸血種へと変貌した。
吸血種へと変貌した後、もともと持っていた異能力は一度消えたのではないかと考えている。
異能力は人間の精神(魂)に取り憑いているものであり、元の人間が人外へと変貌してしまったら精神がないため異能力は使えなくなるはず。

吸血種となったブラムが持っていたのは器である肉体のみであったが、聖剣が刺されることによって、握った人の精神をブラムの肉体につなぎ合わせる(≒文字式を組み込む)ことができるようになる。
それと同時に、剣の持つ融合の機能によって異能がブラムの肉体(※精神ではない)に憑りついて融合したという解釈ができるかもしれない。
聖剣を握った人だけがその剣を通じてブラムの精神の代わりに異能を制御できると考えられる。
そのため、ブラムは聖剣を抜かれると肉体に異能が融合しただけの何かになり、制御する精神を失うので暴走すると推測できる。

余談:「超異能」というのは、異能が持つ原理原則やルールを超える力を持つ異能のことだと思われる。

3.敦と燁子
敦がピンときていた「天道は是か否か」という言葉の意味。
たぶん読者と敦の間には結構な情報格差があるので、まずは敦の目線になって何がつながったのか考えてみる。

・福地が天人を滅ぼそうとしていることを敦は知らなかったので、「天道は是か否か」の意味が天人を成敗することだとようやく気づいてピンときた。
・天人を滅ぼす過程で、探偵社がテロリストに選ばれたのは、福地と福沢の間に長く続く因縁があったからだと知った。
・大戦に行かず福地と同じ目線を共有しなかった福沢には、福地の動機が読めず、結果的に探偵社が自ら事件に踏み込み、踊らされてしまったことを知った。
・敦はそもそも社長が暗殺していたことを知らないので、そのことにもショックを受けた。

こんな感じでしょうか。
だけどこれだけでは福地の真の目的とは繋がらないので、読者には明かされず敦だけに明かされた他の情報がまだ存在するのかなとも思う。

敦と燁子はまだポテンシャルありそう。
この後もう一度敦が福地に戦いを挑むとして、その共闘の形とは。
前回は芥川との共闘で負けたわけだけど、対福地の最終的な切り札は敦と猟犬(燁子)の共闘なような感じもするので、敦が燁子になにか輝かしい光をぶつけて共闘に持ち込んでくれるんでしょうか。

燁子さんの表情が輝いてないし、疲れているし、絶望しているように見える。前にカジノで正義の話をしたときの、きらっきらの燁子さんじゃなくなってる。
無理してる疲弊してる感じがするので、敦くんには燁子さんを救ってほしいです。がんばれ敦くん。

4.福地の目的
福地の真の目的に関連して、過去の気になる言葉をいくつかピックアップ。

・最後の審判のラッパ(日本国総理)
・天道は是か否か
・天地の奸計とならん
・天は使命を…

天道やら天地という言葉が結構出てくるのですが、そもそもの部分で理解していないので、ちょっとブレストを。
為政者は天界に住み、民は人界に住む、という前提になっているようだけど、なぜ為政者=天人なのか?

為政者は戦争(=地獄)に行かない
地獄に行かない存在は人間ではなく天使だから
為政者は地上にいながら天使のように特別な席に座っている

死の裁きの局面では、その分を加味して裁かれなければいけない
直接的な悪を働いていない場合、最後の審判において罪に問われず地獄に堕ちない可能性がある
しかし為政者は間接的に戦争を生み出しているので、本来罰を受けなければならない
地上でも天人として君臨し、死後も天国に行くのは虫が良すぎる
神が彼らを裁かないのなら、天人五衰が神に代わって地獄のような痛苦を彼らに与える
ということだろうか。
そんな為政者の存在を許している天道の是非を問う、が天道は是か否かの意味なのかな。
福地は白黒つけたい、決着をつけたいと思っていそうではある。

福地は、仲間や部下が一番の動機。見捨てられない、助けてやらねばならない、という人情厚めの正義漢(だった)。国家や戦争そのものがどうこうよりも仲間が大切そう。敵討ちも国家消滅の夢も、仲間の無念を晴らすためにやってるのかも。
福沢は、裏で継戦論者を暗殺し、強制的な和平協定を結ぶための助力をしてしまうが、そういう風にして戦争が終結すると、現場で多くの犠牲を叩いて積み重ねてきたものはすべて意味のないものとして無に帰してしまうような気がする。
だからこそ虫けらのごとき死と化してしまうのかも。
戦場では仲間を助けられず、仲間の命を何かの成果に繋げてやることもできず、それが自分の中で許せなくて、仲間の犠牲を意味あるものにするために一人で最後まで世界相手に戦っている、そんな感じがする。

政治で戦争が始まって、どうせ最後に政治で戦争が終わるなら、なぜ人は戦場で命を賭して戦わなきゃいけないのか。その戦場で犠牲になった命は何のための犠牲だったのか。そんなことなら最初から戦争を始める必要なんてなかっただろうが、という叫び声が聞こえてくるような気がする。だから為政者を恨み、戦争が生まれないように国家さえも消滅させたい、それをしてようやく失った仲間の命は意味ある死として報われる、というような思いが感じられるような。
もしそうであれば、福地の主題は「死に意味を持たせる」だったことになり、文ストは「生と死の意味を描く物語」という一点に再び収斂していくことになる。

以上、肥大化した妄想世界にすぎないので、いずれも信憑性はありません。

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