経済は人の欲望によって成り立っている
東日本大震災の時、日本国民が節電を意識するようになりました。
私も日本で生活をしているときは、いつも動いているはずのエレベーターが動いていなかったり、街やホテルの中が少し薄暗かったりすることはありましたが、ちょっと我慢をすれば済むことで、「勘弁してくれ」と思うほどの不便はハッキリ言ってありませんでした。
もちろん、当時被災された方々に比べれば取るに足らないことです。
その風潮のおかげで、「節電」や「節約」ということに意識が高まったのか、物の過剰包装や必要以上に贅沢に物を使っていることが、妙に気になるようになりました。
考えてみれば、世の中は贅沢品、贅沢な設備、贅沢なサービスであふれかえっているような気がしました。
先進国になればなるほど、実は贅沢や過剰設備、過剰サービスによって成り立っていることが多く、そのおかげで恩恵を受けている会社や人がいることも事実。
というよりは、大半がそれがなくなると、消費が減り、経済が低迷し、そもそもそういうものを作っている会社や提供している会社の存在意義がなくなり、雇用がなくなり、更には消費は低迷して、経済が停滞するという悪循環になる可能性だってあります。
そう考えると、人は
「不便なことを便利にしたい!」
「古いものを新しくしたい!」
「大変なことを楽にしたい!」
「汚いものをきれいにしたい!」
「気持ち悪いものを気持ちよくしたい!」
「まずいものをおいしく食べたい!」
など、今より贅沢な生活を望むことにより、経済が成り立っているのかもしれません。
変な話、人々が
「今よりいい生活をしたい!」
「今より良くなりたい!」
と思わなくなったら世界経済はどうなってしまうのでしょう・・・・。
戦後日本を支えた高度成長期に、「今より良くなりたい!」という日本人の欲求がなかったら、今の日本があったのか・・・・・。
そう考えると、人間社会は不思議なもので、「贅沢は禁物」のような風潮がありますが、贅沢をする気持ちがなくなったら経済の低迷になりかねないのかもしれません。
工夫も生まれない、改善も生まれない。
工夫や改善をしなくなると、新しい会社や商品も生まれない。
要するに、イノベーションが起きない。
社長をはじめ社員が「もっと会社をよくしたい!」と思わなくなったら会社もよくならない。
「贅沢なサービスは必要ない」と禁止したら、リッツカールトンのような高級ホテルをはじめ、世の中の贅沢を売りにしているホテルが、みんないらなくなってしまう。
その反面、地震のような天災が起こると、贅沢をすることが悪になる。
震災の復興をしていくにあたり、膨大なお金が動くことも事実です。
それを「ふざけるな!」と言っていては復興が立ちいかなくなり、経済がなりたちません。
しかし、その裏側でボランティアで「儲けなし」で動いている人がいるのも事実。
阪神大震災の神戸のように、復興によってまた新しい経済が成立し、そこでお金が動くのも事実。
人間社会は感情が繰り出す摩訶不思議な矛盾した社会なのかもしれません。
そういう意味では、いつの時代も、『経済は人の欲望によって成り立っている』ということなのかもしれません。
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