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マナーは誰のためにあるのか(麻雀)

マージャンのマナーは誰のためにあるのか?
なんて書きだしたら、
「打ち手`を守るためにあるって決まっているじゃないか」
という答えがマッハで返ってきそうなものです。
私には、それだけだとちょっとした違和感があるのです。
とあるツイートを見て、マージャンのマナーに関して
私の考えを書いておこうと思ったのでした。

『マージャンを楽しむときには、相手に不快な思いを
 させないように気をつけましょう』
もちろん、マージャンに限ったことではないのですけれども、
このような意味の文言はどこかで見たり聞いたりしている
ものでないでしょうか?
たしかに、おっしゃることはわかりやすいのですが、
不快な思い』ってなんだろう?
って聞くと、
←そんなの『常識』でしょう!
っていわれてしまいます。
現実に雀荘や大会のような『知らない人』と牌を交わせる場所は
時代と共にカジュアルに参加しやすい環境になっていますが、
相手の配牌が、どんなものかがわからないように
他人の気持ち』っていうのも想像の範疇をでないことも確かです。

こんな屁理屈を(自分でいっちゃう)並べる人のためにか?
雀荘や大会会場では、いわゆる『マージャンのマナー』が
箇条書きになっているものを、いままでよく見てきました。
『作法』と『マナー』が並列になっている上のツイートは、
そうした箇条書きの内容を知らない人(リアル未経験者)が
経験者に混ざってゲームを楽しめるために
覚えなければならないことの数の多さ、ハードルの高さ
心配しているようにも読めます。

雀荘や大会などでの『マナーに関する箇条書き』には
ほとんどゲームの内容に対する罰則がありません。
せいぜい、
「注意しても聞いてもらえなければ、出入りをお断りすることがあります」
くらいの文言でしょうか。
現実的には、よほどの『公序良俗に反した』ことでもないかぎりは、
私も見聞きしたことは無いですし、実際にも、とても数少ない
できごとなのではないでしょうか?

では、「マナーは、あまり気にしないでもよいの?」
と問われたら、答えは「いいえ」です。
面倒くさいですね。

そもそもマージャンは打ち手たち全員が、
ゲームをスムースに、正常に進行させよう、
という気持ちで臨んでいないと、全員が『良かれ』と思っていないと、
先に進んでいきません。そしてそれが、お互いに敬意をはらいながら
1卓を囲む、といったゲーム性につながっているのです。

もともと日本ではアルシーアルという、とてもシンプルなルールで
遊ばれていたマージャンに、ドラやリーチ、裏ドラ、テンパイ料などが
建て増しされて、現行の主なルールが出来上がっているように、
マージャンのマナーは
「あんなことする奴と(あんな行儀の奴とは)、
 一緒に遊んでいられないよ」
といったクレイム(申し立て)の積み重ねが、
今あるマナー表の箇条書きとなっているともいえます。
遊びの場では、誰かが文句を言うまでは、
そのまま遊んでしまうのが常なので
申し立てられた『マナ悪』の逆が、ふるいにかけられながら
『マナー』として残っている、というわけですね。

やっと本題です。

マージャンのマナーは誰のためにあるのか?

それは、『その場をしきる人』のためにあるのです。
立て膝をしない
卓には両手を出さない
歌を歌わない
ケータイをいじらない
などなどの箇条書きの、べからず集は、大会の主催者、雀荘などの
(ウチはこういう空気感を『良かれ』として集まっています。
 空気のかわりに、これを読んでね。
 そして参戦者同士でなるべくもめないでね
といったものなのです。
こうした建て前があるからこそ、運営、お店のトラブルの煩雑さが
だいぶ減ります。
なぜかはわからないのですが、遊びに来ている人たちは
文句をいいたがるものなので。

マージャンは四人(最近は三人打ちも流行っていますが)いないと
遊べません。
そして、その人が集まる場を開いてくれた主催者に
敬意を払うための指標が、いわゆるマージャンのマナーの正体なのです。

こんな話を聞いたことがあります。
とある成績を競うためのマージャン大会では、
『牌を鳴くときには、その牌を手元に持ってきて、
 メンツを作ってから牌を捨ててください』
という主催団体からの推奨の文言がありました。

いちプレイヤーが「チー」といってから手元の2枚を開いて、
先に打牌をしてしまったときに、
それを目にした、その団体のプロ見習いが注意をしたそうです。
しかし、その見習いクンは、その舌の根も乾かないうちに
自分でも同様の行為をしてしまい、先ほど注意をした相手から
指摘され返され、その動揺のあまりか見えてはいけない牌を
こぼしてしまったとのこと。

まさに本末転倒の笑い話です。
先ほども書いたように、マナー表に書かれていることは
過去に起こったできごとばかりです。
こんなゲームの進行に関係のないことを言わせないように
自分自身で気をつけながら、他人が箇条書きの文言に抵触しても
1ゲームの区切りまで待って、それでも自分自身にわだかまりが
残るようなら、主催者に相談してみるか、くらいの考え方で
良いのではないでしょうか。

『マナーの良い人たち』の名前を冠したマージャンのサークルが
あるそうです。
対戦相手を赦すこと、をテーマに集まるサークルですと、
主催者の負担は格段に減ります。
寡聞にして、その運営の現状は知らないのですが、
同好の士が末長く遊べるためには、会の存続が必須なので、
目の付け所がすぐれたサークルのコンセプトといえるでしょう。

マージャンの打ち方には、いわゆる教科書はありません。
日々のゲームの中で紙に書いてあるものに頼りたくなってしまう
気持ちはよくわかりますが、
ここはおおもとでもある、自分自身が楽しむために牌を握っている
ということに立ち返って、そのためには対戦相手はもちろん、
『その場』を作ってくれている主催者に敬意を払う気持ちで
マージャンのマナーを考え直してみるのはいかがでしょうか。
(おわり)

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