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ゆっくりくんの学校選び【中学編】

そもそも社会に彼の居場所はあるのか。

先週、支援学校の入学式に出て思ったことがこれ。

入学式で目にしたのは6年後にそうなるであろううちの息子の姿、つまり高等部の生徒たち。障害をもつ子達を毎日目にしてるわたしでさえ、現実を突きつけられてショックだったから、見慣れていない夫の心中は察するにあまりある。夫は息子が小学校で身に付けた振る舞いを失うのではないかとすんごく心配していた。わたしも一緒に不安になったわー。

入学式で感じたのは2つ。
「ああ、わたしは6年後今のように働くことはできないのかもしれない。」という恐れ。そして彼の将来に見通しが持てないという不安。
入学できてめでたい、成長しておめでとうという感じはなかった。「ああ、大きくなっちゃったな、どうしよう」というのが本音だった。

【小学校編】にも書いた通り、中学は消去法で選んだ。そもそも中学時代って思春期満開でお互い傷つけたり、傷ついたりする時期。大事に育ててきた自己肯定感を潰さないように、というのが、支援学校選択の最大の理由だと、今書いていて気づいた。

ここからはわたしの想像と思って読んでね。被害妄想ともいう笑。

地元中学校の見学の帰り際、玄関で校長がわたしを送り出しながらおっしゃった。
「できることとできないことがありますので」。


そんな環境に我が子を入れたいか、わたし。


中学は「何を身につけるか」より「何を失わないようにするか」「どこを伸ばすか」な気がして来た。

それよりなにより卒業後の居場所があるのか?
不安と焦りがどんどん湧いてくる。
残された時間はあと6年。
どうするべー。

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