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1時間半だけのバカンス

休日の朝。
その日、私はキレていた。

もう限界。

こどもができてから、なんだか一日中「今日のごはんは何にしよう」と食事のことばかり考えている気がする。
休みの日なんかは朝食が終わったらすぐに昼食だ。

この日、冷蔵庫の中はもうほぼ空っぽ。
何か買いにいかねば、と途方に暮れるが…

0歳の息子が抱っこを求めてぐずぐずしている。
5歳の娘はいつもより遅い朝食をとった後、パジャマも着替えずにテレビ三昧。
平日激務な夫は寝室から出てこない。

散らかったリビング。
干しっぱなしの洗濯物。

すべてにイライラした。もう限界だ。

こんなことは日常茶飯事なのに、その日は日頃のストレスが積もり積もってしまったのか我慢できなくなった。
もう出ていくしかない。

バカンスの支度。

家出してやる。といっても、ほんの数時間クールダウンする時間が欲しいだけだった。
だから、『二時間だけのバカンス』という宇多田ヒカルと椎名林檎が歌う曲のニュアンスがその時の私にはしっくりときた。


まずはグズグズする息子に早めの昼寝をとらせることにして、授乳後、なんとか寝かしつけた。
起こさないように静かにキッチンへ移動する。
米を炊き、冷蔵庫からなけなしの卵とハムを取り出してハムエッグを作った。
野菜が足りないと思い、申し訳程度に冷凍のミックスベジタブルをバターソテーにして添える。
あとは乾物で味噌汁を作った。
なんだ、あるものでカタチになるじゃん、と思った。

ママは出て行きます。

娘に、「ママ、ちょっと外に出てくる」と言った。今すぐにでも出て行きたかったが、こどもを置いていく後ろめたさがあって「むすめちゃんも行く…?」と"一応"聞いた。
引きこもりな娘は「えんりょ」と覚えたての言い回しで断ってきた。

夫にはLINEで「ちょっと出てきます。息子は寝ています。お昼になったら娘とごはんを食べてください。」と事務的な連絡をした。

玄関を出て、夫の通勤用の自転車を拝借した。
いつもこどもらを乗せているママチャリではない。
1人で乗る自転車はなんて軽いんだろう。
その日は冬晴れであった。

街の洋食屋さん。

駅まで自転車を走らせ、商店街の中にある地元では少し有名な洋食屋さんにひとり入った。

すぐに席に通され、オムライスとカニクリームコロッケを注文した。
ほどなくして料理が運ばれてきた。

素朴だけどきれいな造形の昔ながらのオムライスには、中にハムが入っていた。
奇しくも私が作り置いてきたハムエッグと材料が一緒だな、なんて。

そしてオムライスが好物である娘のことを思い出して、いつか連れてこれたら良いな、と思った。
食べながらそのいつかのシミュレーションをしている自分がいた。

人気店で続々と人が入ってくるが、その中には私のような1人客のマダムも居たりして、なんだか親近感を覚えた。

食事は、あたたかくて美味しかった。

店を出て、隣駅前まで自転車を走らせてスターバックスでクリームとチョコレートが盛り盛りのフラペチーノをテイクアウトした。
おなかはいっぱいだったのだが、とことんこのバカンスを楽しみたい私の、半分意地だったと思う。

そして悲しきかな。バカンス中でも家族のことを忘れられず、スーパーで夕飯の材料を買った。
そして声をかけたとはいえ娘を置いてきてしまったお詫びに、お土産のアイスもカゴに入れた。
偉いぞ私。

いつもより身軽な私は、少し自転車のスピードを出して家路に着いた。

バカンスからの帰還。

家に入ると夫と娘が食卓について私の用意したハムエッグを食べているところだった。
息子はまだ良い子に寝ている。

娘は、「で?どうだったの?」と少しふてくされた様子で目も合わせずに聞いてきた。
その聞き方がおかしくて、笑ってしまった。

時計に目をやると、家を出て1時間半。かの曲より30分も早く帰宅してしまった。

バカンスというにはあまりにも謙虚な私の時間。
それでも気分は晴れ晴れとしていた。
家族に向ける笑顔を取り戻せた。

さいごに。

「人を幸せにしたかったら美味しいものを作ってあげると良い」と、誰かが言った。
大好きな言葉だ。
でも、日々の支度に追われていつのまにかそれが苦痛なものになっていた。

疲れたらバカンスに出かけよう。
また笑って食事の支度ができるように。

さぁ、夕飯の下ごしらえをしよう。

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