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恐竜の置物

 おばあちゃんの家にある、恐竜の置物が好きだ。その置物の作者は、今は19歳になる従兄弟である。置物が作られたのがいつ頃かは定かではないのだが、恐らくは10年かそれ以上前に、従兄弟本人が小学校低学年くらいの頃に作ったものだと思う。おばあちゃんはきっと、恐竜がいつ作られたものなのかを覚えているのだろうが、あまり頻繁に連絡を取る訳でもないのにわざわざそれだけ聞くのもなと思い、私の完全なる推測で断定した。というのも、おばあちゃんはその頃、よく私や従兄弟を自身が通う陶芸に連れて行ってくれていたのだ。そこではみんなが思い思いに作品を作っており、通っている人もおばちゃんやおばあちゃんといった年齢の方ばかりだった。みんな私や従兄弟のような子供にも優しくしてくれて、お菓子をくれたり、作品を褒めたりしてくれた。ホワイトボードへの落書きですら褒めてくれる程だった。小学生の私にとっては、何かを作れば褒められて、お菓子も貰えて、全員が適度に構ってくれ、クーラーも涼しくて、途中で飽きても建物内に山ほど暇を潰せる場所がある、これ以上ない素晴らしい環境だったと言える。この陶芸が開かれているのが毎週木曜日で、小学生の頃は長期休みくらいにしか行くことが出来なかった為、いつもウキウキで遊びに行っていた。中学に上がって不登校になってからも時々行っていて、特に何かを作るでもなく、ただ机に突っ伏して寝てるだけの日もあったが、おばあちゃんが帰るタイミングで起きると、目の前にはいつもお菓子が供えられていた。中学生の頃は結構心を閉ざしていたが、陶芸は変わらず居心地の良い場所だった。最後に行ったのは中学何年の頃だろうか。それまではおばあちゃんの家が徒歩15分圏内にあったのだが、中学3年の時に別の市へ引越してからは行かなくなり、その間におばあちゃんも陶芸をやめてしまった。おばあちゃんは、「長いこと通ってたからもう作りたいもんないねん」と言っていた。私にとっては残念なことだが、特に作りたいものもなく、仲の良い人も辞めていく中で、無理に続ける必要もないし、まあ仕方ないかと思った。創作活動のうちのひとつを辞めてしまったことは悔やまれるが、おばあちゃんは陶芸以外にも編み物や小物作りなんかもずっと好きで続けているので、何も一切の創作をしなくなったわけでもないし。
 おばあちゃんはなんでも丁寧に慎重に取り組んでいるようで急に嫌になって投げ出したり、かと思えば暫くしてまた挑んでいたりする、ある意味では1番私に似た性格の親族だ。これは去年くらいの話なのだが、私が夜ご飯の前にリビングの椅子で寝てしまって、22時過ぎだとかに起きたら目の前でおばあちゃんが床に倒れ込んでいたことがあり、ギョッとして声をかけたら普通にむくりと起きて「立つ時に転けたから嫌んなってそのまま床で寝ててん」と言った時は、確かに私も同じことをしそうだなと思った(それはそうと普通に転けはしたらしいので、めちゃくちゃ心配したが)。性格や考え方は母子家庭なこともあって母親に似ているのだろうなあとは思っていたが、母方の祖母であるおばあちゃんにもしっかり似ているんだと痛感した。あとはマグネットのお絵かきボードで当時3,4歳だかの従兄弟に頼まれてアンパンマンを描いたところ、下手すぎて一瞬にして消され、それがあまりにもショックでそこから絵を描くのをやめた話も好きだ。あまりにもこの話を聞かされて育ったから、小学生くらいの時に一度アンパンマンを描いてもらったと思うのだが、ちゃんと下手だったような気がする。これはなんの当てにもならない話で、本当にあった出来事か否かが定かですらないが。反対に、おじいちゃんは絵がとても上手で、小さい頃に見た船の絵を未だに覚えている。従兄弟が絵を描いている紙の端にサラッと描かれた船は、今にも動き出しそうな迫力があった。片や即消しアンパンマンである。おばあちゃんはよく「お母さんらもそやけど、孫連中もみんな絵上手で誰もバアバに似んくてよかったわ」と言う。とはいえ、おばあちゃんにも美的感覚はあるし、絵以外の編み物や陶芸なんかは売り物みたいなクオリティなので、画伯なこと以外に芸術面でおかしな点は特にないように思う。祖父母がこうなので、孫連中もみんな何かしらの創作活動を好むようになったのも納得がいく。そもそも、母や叔母も絵が上手かったり服飾系が得意だったりするし、母や叔母が祖父母のそういう面を結構色濃く継いでいるからこそ、更にその娘・息子たちがそうなったのだろうが。
 話は陶芸に戻るが、未だにおばあちゃんや私たち孫連中が作った作品は、おばあちゃんの家に沢山存在する。従兄弟が作った恐竜の置物だけでなく、私が作った芋虫の置物や妹が作った顔の置物(?)、お茶碗などの食器も勿論ある。おばあちゃんの部屋には陶芸の作品だけでなく、折り紙やぬいぐるみも飾られている。これは完全に初孫の特権なのだが、特に私があげた物が多く散見される。しかも、いつ渡したかもほぼ全て覚えてくれていたりする。もう十何年も前なのにこうして一つ一つ覚えてくれているのは素直に嬉しい。母は仕舞って大事にしておく派だったので私も長らくそうしていたが、祖母が何度かの引越しを経て自分の部屋を得てから好きな物を沢山飾るようになったのを見て、私もポスターやバイト先の子供に貰った絵などを飾ったりするようになった。見る度に可愛いなあと思うし、どれだけしんどくても幸福度は微増するので、精神衛生上たいへん良い。それと、本棚に好きな本が追加されていくのも好きなので、一人暮らしを始めてからというもの、どんどん本棚が大きくなっていっている。こうして好きなものをたくさん集めたい欲がある中、おばあちゃんの家の玄関にある従兄弟が作った恐竜の置物をふと思い出して、おばあちゃんの家に行った時に「これいいよなあ」という話をしたことがある。おばあちゃん自身もかなり気に入っている様子だったので、「欲しいな〜と思ったけどめっちゃ気に入ってんねんな」と言うと、「死んだら持ってってええよ」と言われた。ひいおばあちゃんが100歳まで生きたことを考えると、あと30年は貰えないらしい。その頃にはもう私も51歳のおばはんで、ちょうど私が産まれた時のおばあちゃんの年齢とほぼ同じだ。早く欲しいが気長に待ちたい。
 そういえば15年前、おばあちゃんが私の幼馴染に対して魔女を自称していたのだが、もしそれが本当だった場合は私が先に老いて死んでしまうのだろうか。いつも全身真っ黒の服でバス停に現れては「箒に乗って飛んできてん」と言っていたが、実際に箒で飛んでいるところは見たことがない。私が小学5年生くらいの頃の真剣に箒で空を飛ぶ練習をしていた時期には一度たりとも飛べなかったので、少なくとも遺伝はしていないはずだ。もしかすると私、もしくは私の母親はスクイブなのかもしれない。私も魔女がよかったのに、あと少しのところで途絶えてしまったのか。でももしそれまでが純血だったとしたら、ひいおばあちゃんが100歳で死んでしまうのは短い。ひいおばあちゃんまではマグルだとして、その後マグル生まれのおばあちゃんによる魔力か何かで100歳まで生かすことが出来ていたのならば、かなり胸熱ではある。この家系でおばあちゃんだけが魔女なのもかっこよすぎる。まあもし本当に魔女なのだとしたら、数十年の間だけ恐竜の置物を譲ってやって私が死んでから回収してくれ、と思うが。ハリーポッターをまともに見たことがないので、完全にネットの知識だけで長々とそれっぽいことを書いたが、もし見当違いなことを言っていたとしても「エアプ乙」とだけ思って見逃してほしい。とにかく、恐竜の置物は、なるべく遅くに私の手に渡るように願うのみなのだ。おばあちゃんの気が変わってすぐにでもくれるとなったら、それはそれで嬉しいのだが。元気に長生きしてね。

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