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【ケアラー’s コラム】ラフィングケアラー あなたが笑う未来を信じて

※この記事は「ケアラータイムズ 第4号」(2022年3月号)からの転載です。

◆コラム執筆者: 元ヤングケアラー・現ケアラー/看護師 かんちゃん

誰もがケアに関わる「一億総ケアラー社会」が近く訪れようとしています。介護というと「暗い・しんどい」というマイナスの側面に焦点が当たりがちですが、私の経験から「学び・成長・日々のすべらない話」などプラスの側面を共有したいと思い、インスタライブで情報発信しています。私は自分に『ラフィングケアラー』(笑っているケアラー)と名付けて、日々面白がりながら家族のお世話をしています。私の家のことを話すことで、ヤングケアラー・ケアラーさんに「一人じゃないんだ」「自分もなんとかなるか!」という「大丈夫」や「安心」を届けたいと思っています。

私のヤングケアラー経験は、9歳の時に母が統合失調症を発症するところから始まります。それを機に3歳上の姉も徐々に不安定になり、不登校やリストカット、過換気症候群や強迫性障害なども発症し、大人になって付いた診断が発達障害でした。父は母と姉の病気や仕事のストレスも重なって鬱病になり、飛び降りようとしていたのを引き留めたこともあります。現在は神経難病を発症し、要介護の状態です。そんな家族の中で私は一人元気でした。「私が病気になったらこの家庭は終わる」そんな言葉が、常に頭にありました。

小学生の頃は、自分だけ大人になったように感じ、周りの友人に家のことを話す気にはなれませんでした。中学生の頃、ある芸能人が鬱で休業となったのを友人が「気持ち悪い」と言ったため、「絶対に周りにバレてはいけないんだ」と強く思いました。誰にも話さないことが家族を守ることだと思っていたのです。少し落ち着いていた母の症状が強く再燃したのは、私が高校生の時でした。父が単身赴任をしていたので、私が母と姉を一人で看る生活となり、そこに大学受験も加わって、私の気持ちはいっぱいいっぱいでした。

私は自分の家族へのケアと、患者の家族へのケアを専門的に学びたいと思い、看護の道に進みました。「同じ看護を学ぶ仲間だったら」という思いから、大学の友人に初めて家のことを話しました。私の「誰にも話すもんか時代」の終了です。大きな肩の荷が下りた瞬間でした。それからは人に話すことで味方が増え、自己開示や傾聴の大切さを、身をもって痛感しました。

私には家族ケアにおいて、たくさんの成功体験があります。小学生の頃、幻聴で怯える母をひざに乗せて、背中をトントンしたら母が落ち着いたこと。大学の先生のアドバイスから、母の床ずれをきれいに治せたこと。朝、母と「おはよう」を言い合えるだけで、大きな幸せを感じたこと。そして、友人に家の話をしてみたら、明るい未来が想像できるようになったこと。

子どもの頃、一人で未来を考えるのはとても怖く、悪いことしか想像できませんでしたが、いまは自分が想像もしていなかった未来に立っています。現在のヤングケアラー・ケアラーさんが自分の未来を信じられなかったとしても、私が先にあなたの笑っている未来を信じて待っています。一緒に”にもかかわらず”笑いましょう。


かんちゃんがヤングケアラー啓発活動をしている「K&」インスタグラム
https://www.instagram.com/y.c.k2/
「K&」WEBサイト
https://concertmasterjp.wixsite.com/website

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