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河川敷から滑走路

ふと思いたち、筆を取る。
気がつけば、前回の記事はちょうど3年前だ。

本来綴りたかったことがあったが、久しぶりに過去のnoteを見て、回想していたところ、すっかり内容を忘れてしまった。

せっかくなので思い返してみれば、3年前は、文字の如く”生きるのに必死”だった。
だいたい手持ちのお金は数百円で、銀行口座の残高はよく3桁か4桁を彷徨っていた。
給与はクレカの支払いで全額消えるし、クレカが払えずに止まったこともしばしば。
今となっては懐かしいが、もうしたくはない経験だ。

なぜか大学生〜社会人が一番羽振りがよくて、新卒〜5年目くらいまでは泥水を啜って生きてきた(生き残っていた)。天国とどん底を経験した20代だったと思う。

ただ、自分に余裕がないのに、自尊心は一丁前にあり、勝てない勝負にも無謀にも立ち向かい、玉砕することも多々あった。
その上、不幸は重なるもので、当時騙されたり、裏切られたりして、人を一切信用できなくなったこともあった。
しかし、落胆は自分の一方的な期待と相手の行動の乖離から生まれるもので、結局自分が相手のことを知る努力を怠ったことに起因するものだと気づいた。

そんなこんなで紆余曲折を経ながら3年経った今、当時と比べると多少の余裕は出てきたし、もっと言えば学生時代と比べれば、本当に幸せな人生を送れていると思う。

自分の好きなことを仕事にできて、大好きな人たちと志高く生きている。その上、痛くもないし、苦しくもない、誰かに命を狙われる心配も(多分)ない。
こんな幸せなことはないだろう。



と、表では言っているが、正直疲れたと思うこともよくある。
最初は、感情の向き合い方に悩んだが、今は人生そんなものだろうと割り切っている。

そんなことを考えていると、中山真理さんのMessageが頭の中で流れるが、よく出来た歌詞だと思うとともに、合唱曲で選んでくださった先生に感謝したくなる。先生元気かな。

走ることに疲れたら 休んだらいい
休むことに疲れたら また走りたくなるから

だから今は、地に足をつけ、のんびりしながらも、未来に希望を抱いて生きていきたいと思う。

疲れた時の深呼吸と紅茶も忘れずに。


あ、結局書きたいことを忘れたままだったので、思い出したらどこかで書きたい。

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