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教育

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私のこれまでの教育の歩み
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#F_小学校低学年

なんで、人は生きるの?

突然、一年生の子供にそう聞かれて、私はあんぐり口を開けた 。その状況は、かつて同僚が置かれた状況に似ていた 。それは、道徳の公開授業での出来事だった 。同僚が「それでは、これから道徳の授業を始めます。」と言った時、教育委員会の指導者がその教室に入ってきた。 まだ、発問もしていないのに、即座に一人の子が手をあげた。 「先生!道徳って、何ですか?」その予想だにしなかった1年生の質問に、その同僚は狼狽し、その答えに窮した 。私は、その話を同情をもって聞いた。こうした概念を1年生の

父と子の自由研究

元父兄で、私が尊敬する高校教師と彼の息子、大ちゃんが夏休みを利用して「昔の旅」を試みた。それは、大宮から熊谷までの48㎞を徒歩で旅することであった。その旅は、いくども止めて帰ろうかと思うほど、大人にとっても過酷な旅であった。 初めは、歩道の横を追い抜いて行く車の視線を気にしての旅だったが、疲労が極限に達してからは、そんな恥ずかしさも消しとんで、終には、こちらから手を振る不気味な余裕すら生まれたとか。 旅の途中、茶店?で気のいいおじさんが「土手を歩くといいよ!」と教えてくれ

切なさに寄り添う

幼子の心は狭い。喜びや悲しみですぐいっぱいになってしまう。そんなにきつく叱ったわけでもないのに、涙目が怒っている。先生に不満があるのかと尋ねると「そうだ」と大きく頷いた。こちらも不満の原因が思い当たらなかったので、怪訝な顔で相手をにらみ返したが、正直なところ穏やかな子が初めて見せた反乱に戸惑いを隠せなかった。 「不満があるのなら、言ってごらん。」 でも、こちらをにらみ返すばかりで埒が明かない。胸がいっぱいで、どうすることもできないのだろう。にらみ合いは10分間ほど続いた。

沈黙がもたらすもの

母は沈黙が上手だった。僕がおねだりすると、すぐ口を閉じた。そこに大人の事情があることなど幼い僕に分かるはずがない。だから、必死に考える。どうしたら買って貰えるか? そんな話を幼稚園で話したら、早速、実践したお母さんがいた。 娘さんと一緒に靴屋さんに行った時、娘さんが靴を二足持って来たそうだ。それを見て、口を開こうとした時、 あ、「沈黙」!何も言わないお母さん、いつもと違うお母さんに戸惑っていた娘さんは、やをら、こう言ったそうです。 「もったいないから一つだよね。」お母

赤子の姿

始踏切内のわが子を救うために身代わりとなって亡くなった母親がいる。1月27日午後の出来事であった。その行為は、功利的でもなく、また、道徳的でもない。今まさに電車にひかれようとしているわが子を見て、全く吾を忘れ、あたかも本能から出たかのように飛び出して行ったのである。 これこそ美の極致、意志によらない無条件の行為であった。かくまでに、母の愛は深く、そして、はかりしれない。 なぜ、これほどまでに、子は母の愛を一身に集めるのであろうか。それは赤子が無力であり、母の手によらなければ