神社で考えていること

ここ最近は完全にお参りのオタクみたいになってしまって隙あらば南無ってるけど
実際のところ、神社でのなすべきことや方向性やら各所での正解がなにひとつも分からない。

知っているのは、一般的な参拝の方法としての2礼・2拍手・1礼くらいで。


お賽銭の金額によっては語呂合わせで悪い意味になっちゃいます!みたいな近頃の悪質マナー講師みたいな人の唱える新説、
信じたくないのに心の問題だからダメっぽいと言われると気にしてしまって嫌だなあ〜〜と思っていたけど、
ある神社が「金額による悪いことなんて関係ありません!!!お気持ちです!!!」って言い返してくれててよかった。

以前母から聞いた話だと、住所・氏名をちゃんとお伝えしなければいけないとも聞いた。
役所とか懸賞じゃないんだぞ。そこは神通力などを使ってなんとかしてほしい。
神の力、信じてる。


オカルト脳として気に入ってるのが、質の悪い神様の話。
悪いものを神として崇めることで封じているタイプの神社があるという説。
悪いわけじゃないけど、神のジャンルと方向性も。
稲荷系は家を栄えさせてくれるけど、粗末にすると抜群に祟られる…などと。

そのタイプの強めなギブアンドテイクが必須だったり、明らかにヤバそうな神様じゃないにしても、
ぽっと出で来ただけのド新規ニワカにいきなり願い事言われてもハァ?って感じするかなってのはよくわかる。
百度参りとか毎日同じように顔出して認知されてたら そりゃ叶えてあげようとも思うよね。


前にお参り付き合ってくれた理論派のお友達は、
来ましたよ〜ということで挨拶はするけど願いはしない。
そもそも願うのっておかしくない?という考えとのこと。

挨拶にとどめるというのは理にかなっているので無難だとは思うけども、
どうしても神社へは救いを求めた時に立ち寄ってしまうので
自力の宣言程度にしても願うことをやめられない。
私の人生はとにかく自分ではどうにもできないことが多いので、超絶的な力を信じて『できるような気持ち』になって正気を保ちたいんだ。


願いにしても、一般常識クイズ以上の参拝ルールにしても
神の広い御心をもってしたらそんなのは気にならないのかな?とか都合いいことも思うけど、
いかんせん神として下々の人間たちののとを考えたことはないので分かり兼ねますね…。


ここしばらく神社寄り道にも同行してくれるマブダチは
特に信仰もなさそうだし己の力を信じてるので真剣な神頼みもしない派のようだけど、
あなたが好きそうだから付き合うよ!という優しさと、散歩するのいいよね〜♪というフットワークの軽さと、
お参りをそういうアトラクションだと思って「無病息災〜!」ってしてると言ってた。

私が神ならゴリッゴリの信仰じゃなくても、そういう気軽なのがいいなって思った。
これからも好きに参って、好きに縋るよ。散歩もアトラクションも好きなのでね。

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