何とかどうにか、お陰様で
最後に更新したのが4月だった
特に書くことが無いわけでも無かったのだが、
書くということが後回しになってしまっているような生活だった
しかしやはり私は書かないと思考がまとまらない と実感
8月に至るまで、たくさんの良き経験をして幸せな思い出も作ることが出来た(いずれ綴りたい)のだが、やはり悶々としたものはどこか残っていた。
書こう。書いていないからだ。いいこと悪いこと全てが散乱していて妙に頭が落ち着かない。何もなにか設定や目的を持って書かなくてはいけないということなどない。
とはいえ、いざこうして書こうとしてみると
自分は何が書きたいのかわからなくなったりする。なんか書きたい!というわくわくというよりは、最近また読書にハマり、活字に毎日魅了されているため衝動的に何か書きたい………!となっているのだろう、と、今の私の現状を私自身で推測。
こう、本当はいろいろあるんだけどな
毎日。
感受性を剥き出しにして生きているから(時に、キチンと閉まったりもしてね)日々 目に映るものや感じることが溢れ出るほどに多い。それを一つ一つ大切に抱きとめながら生きていきたいけれど、濁流のような社会の中ではかなり厳しくもある。優先順位をつけて、小さな何気ないものは過去に置きながら進むしかないのだ。でも大丈夫、置いてきただけで消えはしないからね。いつでも取りに戻ることは出来る。時間旅行は可能だということ
そこが虫歯になって、もし抜いたら なんて滑稽なことになってしまうのだろう と不安になる位置の歯が最近痛む。どうにか持ちこたえて欲しいところ。
あとはー、浅草寺で引いたおみくじの内容がかなり良くて(もう本当に良くて「やることなすこと全部ええよ!」みたいな)
基本ベース、こういうのって言葉のお守り程度に感じておくのがいいんだろうけど
このおみくじに至ってはなんか本当に、私の未来予想図というか予言というか、かなり心酔してしまっている。机のよく見える位置のところに忍ばせている。なんか可愛いなと思う そんな自分が
納得できていないのに続けているなみたいなことがあって、それをいよいよ断ち切ろうと思う。いろいろと。そのために今月から動き出そうと思う。
人との縁あって、それぞれに起点が見つけられた(縁ってなんかやっぱ大事なのでこれからも大切にしようと思った)から そこから、自分の意思で、慎重に、でも大胆に。
本当に、いろいろな事がこの夏までにあったし
喜怒哀楽を満遍なく堪能した日々すぎて
これからの人生もこうであり続けたいと思った
生きてれば絶望にはどうしたって直面する、直面どころか
絶望とは常に共生していて、その絶望が気まぐれに、私の弱さや負の感情に漬け込んで姿を現しているに近いように思えるけど
それを打ち砕いたり負かしたりするというよりは、それと上手く付き合いながらも歩みは止めずに みたいな人生を歩めたらと思う。
とにかく、歩んでいたらいいんだよって時も
あるのだよ
歩かなきゃ景色が動かないから
動く景色の中で、持ち前の感受性やら感性やらを駆使して 様々な情報や感情をインプットする。そしてそれを表現のみならず新たな自分の感受性や感性へとアウトプットしていく。内側へのアウトプットってなんか面白い日本語だけども。まあそんな感じで、生きてゆけたらと思っております。
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