老人

僕の腰痛と、君の元気を交換してくれないか。
二十歳そこそこの若者は少し考えてから、良いですよ、と微笑んだ。
まず、二十歳そこそこの元気な若者は、自分が元気だという自覚がない。次に、大人は腰痛ってよく言うけれど実際のところどんなものなんだろう?、という疑問を少なからず持っている。そして、もちろん愚かである。腰痛を味わってみたいという好奇心を飼いならせるだけの自制心を持っていればそいつはもはや若者ではない。

交換は一瞬だった。
あれ、思ったより…などと言いながら腰を撫で、困ったように微笑もうとしたときには、腰痛を手放し元気を手に入れた者は全速力で駆け出していた。
あ、ちょっと待って、言いながら走り出した足に力が入らない。そうか俺は元気を失っているんだ。「元気」て。漠然としてるなぁ、だがしかしこの刺すようでありながら且つ鈍い痛みは漠然とはほど遠く鮮明で、俺は自らの脳に新しい種類の「痛み」をインプット言うてる場合ちゃうわあいつ何処まで走っていくねん、と思いながら息を切らせてへたりこんだかつての若者が貴方の予想通り今の私である。

以来、20年以上経つが実は彼には何度も街中で遭遇している。最初は追いつけずに諦めていたが今では彼も老い、元々初老だったのだから当然だが腰が曲がり歩くのも辛そうだ。私の元気は酷使されて減りが早かったのではあるまいか。いまさら捕まえても益は無さそうだ。話しかけるほどではないが笑顔で会釈はしてくれる。だが何を思って笑顔なのだろう。どう考えても加害者のくせに。


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