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さっきまで何やってたかな。

今、自分はnoteに文章を書いている。さっきまでツイッターでタイムラインを見ていたのに、なぜ文章を書いているのだろう。
気の向くままスマホをいじっていたらいつの間にか、こんな文章を書いている。不思議だ。自分が思いもよらない行動をする自分は不思議だと思う。
自律しているつもりでも自律は出来ておらず、誰に命令されるわけでもなく、自分自身に命令されるわけでもなく、かといって自分の意識が無いわけでもなく、今、自分はつらつらと文章を書いている。何も考えずに思いつくままに書いているから文として成り立っているかも分からないけれど、分からないままに、ぽやーっとしながら文章を描き進めるのは存外心地よいなぁと思う。思いながら書いている。読み返して文の流れを考えていないから、多分どっか行っているまとまりの無い文になっているんじゃないかなぁ。前の文章はもう見えなくなってしまったから、思いつくままにもにゃもにゃ書いていく。後もう思いつかないな。さっきまで何やってたかを考えたけれど、結局今の自分がやっていることが全てで、数秒前にやっていたことも覚えていないのなら、無いことと一緒なのかな。寂しいね。今やっていることを覚えながら歩くことで自分が出来ていくのかな。でも、3分前に書いたこの文章の冒頭も覚えていない。それは自分の中で身になるのだろうか。自分の糧になるのだろうか。ちょいとスクロールすれば思い出す話なのだけれど、文章を書き終えるまでは見ないでおこう。自分は数分前に書いた文章の内容も忘れてしまうこと、そして、自分が書いた文章が確かに残っていること、ちゃんと覚えておこう。自分が忘れていることも、何かしらの形にしておくことで、また見られる。形にしなければ一生思い出さないかもしれない。自分が辿った軌跡は形に残していきたいな、という終わりになった。
自分が考えて吐き出すままにここまで書いてみた。文章の内容も繋がりも気にせずただひたすらに、身の内から出てくる思考をつらつら並べただけの、文章の終わり方は自分も予想しないものになった。
もうここまでにして、冒頭からもう一度読んでみよう。最後の文章にいる自分は、この文は支離滅裂だろうな、と思っているけれど、意外と繋がった文章になっているかもしれない。面白そうだ。一息で書いた文章の方が自分の気持ちが素直に乗ってるかな。どうだろう。読み返してみよう。

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