3月21日

 これからは現実なことですが、ネガティブっぽい話です。
 まず5Sという準則なら、見ている限りでは普通工場のようなとこにしかあるものですから。そしてたとえアセンブリラインのリーダーがいくら作業員に5S準則を唱えても、5Sに合っているやり方を説明することになっているだけです。
 作業員の視点から見れば、リーダーさんの言葉のままにやればいいじゃん、5Sの由来はどうでもいいじゃんって考えって抱かれているほうが筋に合っているのではないでしょうか。こうして客観的に言えば、中国のほとんどの工場の作業制度、強度、人を喰っているって言っても過言ではありません。また、アセンブリラインに合っている仕事だからこそ、両手両足を自由に動かせば誰でも作業員に慣れるという仕事環境の作業員の学歴はほぼ高校、まして中学校までです。学歴と専攻の内容によって、人の視点や考え方が大いに変わっています。彼らの視点から見たら、5sの由来はどうでもいいって考えの理由とした一説も成り立っているのではありませんか。
 ツヅイテ先生の学生の角度から見て、5sの由来を知らないことを分析したら個人的な考えを話させてもらいましょう。中国では日本に出稼ぎのために大金を貯めておいている人がありますから、未来の暮らしがうまく進んでいけるように日本語を勉強しはじめて、塾に入ったり、いい先生を教えてもらったりすることも推測できる事実だと思えます。つまり、日本で働くために仕事をやめて、工場から出て塾に入ったということは破天荒なことではないでしょう。ただ中国の人数に準じても、存在があまりにも稀です。
 個人的な考えから言ったら、先生の教室には日本文化、特にアニメとか興味を持って参加してきた人が多いでしょう。彼らにはまだ学校に通っている学生(生徒)もいれば、もう会社に勤めている会社員もありますでしょう。
 ところで、ここでは多分私の話には疑問を持っていますでしょう。なんで工場の人が会社員の群れに入れていないって。日本のの社会なら言いにくいですが、中国の工場(特に私企業の場合)では作業員のことはほぼ社員と見られていないほうが大衆の見方に合っているはずです。やはり学歴にかかっているほかにはありません。もちろん、作業員のことを先に話しておいたのはそれだけでは簡単なことではありません。
 もう言っています。作業員の仕事は強度がバカ強いです。例を挙げてみたら、朝八時から夜九時、十時まで、途中二時間弱の休憩(昼ご飯、夕食の時間も含まれています)。その仕事の時間帯で一日も休まずに何ヶ月ずっと働いていることは一般なことです。そんな人間が仕事をやめてまでもその夢を果たす動機も言わずも分かる強さがあります。いや、動機というより外界のメッセージを受信して、刺激された末の選びって言ってもっと適切だって考えます。もし日本人に会えるチャンスがあれば、5sの由来というより日本人の日本実生活にはもっと興味を持っているのではないでしょうか。それに、もともと一日の機械的なしぐさを繰り返して、仕事で疲れ切った彼らにはそんなことを考える時間も意欲もあまりないでしょう。
 ここでは一応学校に通っている学生や一般会社員などの視点に移っていきましょう。中国ではいつの間にか流れていた日本匠人精神という言葉ならくまてつさんお耳になさったことがあるでしょうか。工場の長時間を体験したことがない学生には雑誌とか、社会世間に流れていた日本匠人精神とか日本工業の理念や準則とかいろいろなメッセージ、受け身として触れることが多い。そのようなことが気にたまらない学生がなんかどんな時代においても変わっていない存在だと思います。もしくまてつさんの教室の話し手が考えているこんな身分に合っている人だったらおかしくなく思えます。
 一般会社員なら状況が複雑ですが、多分学生と似たりよったりの気持ちを抱いています。
 自分の経験から一つの例を挙げさせてみましょう。何年くらい前のことでしたが、今でもはっきり覚えています。それはニューオオタニ長富宮のフロントの係として働いている間に出たことです。
 縁起はもう覚えていませんが、気まぐれで泉鏡花の作品にはまっていました。私とともに一緒に仕事をしていた同僚が私の専門とした日本語にはたいへん興味を持って、ひたすらこっちのことを尋ねてばかりいました。ちょうどそのうち泉鏡花の小説を読んでいて、いつか本を見せてあげると約束しました。
 ちなみに、フロントの仕事の間は携帯をいじったりすることは絶対にだめだということになっていますが、その代わりに暇の時には本を読んだりすることは許されています。
 ある日、泉鏡花の小説をフロントのところに持ってきました。そしていくつの質問を出しました。
 彼は日本語ができていなかったですから、以下の対話内容は日本語で表示。

「泉鏡花って誰、知ってるの」

「それは当たり前なもんだ。知らなきゃ読んでるものか、1900年ごろ活躍していた作家だ」

「へっ、まじ」彼が言いながら、本を捲ってみた。

「ぜんぜん読めないね。君本当に読めるの」言い終わって、疑いの目で私を見つめた。

 こっち言い返すところへ、先より言い足した。

「有名なの、」

「さあ、その時代なら相当的な有名人だった」また尾崎紅葉の門下の弟子という言葉はとうとう口にしなかった。こんな場合では余計な話にすぎないことだった。

「有名人なら、日本人に聞いてみたらどう」彼は陽キャラで、こっちより何ヶ月前から働いてい。日本語ができないけど、礼儀の正しさで多くの日本人の客によく評判されたらしい。

 フロントが事務棟一階にある。三十社も越えた日本企業の連絡先がある。仕事内容に慣れているかれにはここを経て出勤している日本人ほとんどのことまで知っているらしかった。

 彼の行動はいかにも大胆で、本を持ちながら、タバコを吸い終わってエレベーターへ行こうとしている日本人を呼び止めた。

“您好,请问您看过这本书吗?这上面这个人您认识吗?”

 ここで働いているほとんどの日本人は中国語がぺらぺら喋られる。中国語のやり取りはぜんぜん問題ないんだ。

 彼はなにも言わずに本の表紙を見たりして、微笑みながら頭を振って行った。

 それから、二、三人を尋ねた。
 “没看过,不认识。”って答えだけだった。
 ここに通っている日本人の後ろの会社は上場企業または自治団体くらいのところだ。せめて私の立場から見ればエリート階層に位置してる人だと思う。

 では、なんで、泉鏡花の名気がそこまでだけだということなの。いや、ただ聞く場所を間違えたにすぎなかった。

 仕事内容一環として掃除さんと一緒に日本人の客のルームに入ることになっている。(掃除さんの行為が日本人に迷惑をかけたり、言語不通のためトラブル発生を防ぐために)その時点ならほとんどの客が留守しているが、妻や息子や娘を中国に連れてきた客がありますので、時折奥様がいます。
 奥様はどうにもこっちは日本語ができるということにびっくりしたらしい。仕事のルールに反っていないし、ちょっと奥様と話し合った。奥様がどうにもコナンにはまっていて、アニメにつての見方も聞かれたけど、もう長いときぶりに見ていないから、話し合いはそこまで終わりそうなときに同じ質問をした。(時間帯から見れば、それこそ先に発生した)

「泉鏡花という作家のことを知っていますか」

 たしか奥様が目を張って、「え⁉」って大声を出した。

「とても有名ですよ」
 それ以外に金沢の泉鏡花の記念館のことを聞かせてくれた。ちょうど掃除もそろそろ終わりに近づいているし、奥様と別れて後にした。愉快だった。

 まあ、ただ場所を間違えたそれくらいのことだけなのでしょう。

 
 
 
 

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