雑談

 そろそろお風呂に入る時間になるから、自分一人の呟きとして適当に何か書きたいって思って書き出した。
 さてさて、今まで日本語を習って八年目か九年目かになっているか、まあそれはどうでもいい。先日、川端康成の雪国を読んだことがないことに気がついたなんて不思議ように感じてしまった。大学受験向けの古典日本語まで習った経験をしたことがあるのに、それはそれは。恐らく長年も単に文法そのシステムにははまっているだけなんだった?
 振り向かいて、夏目漱石の《心》、泉鏡花の《義血俠血》、二つの内容がまるで身近で経験した覚えがあるかのように、言葉だけでは表せないほど臨場感がすごく強い。ほかには何を読んだか、思い出しようともど忘れの虚無感だけなんだった。雪国のあとは何を読めばいいか、一応ネットショップで日本語らしさの日本語を買いたい、読了したら紀貫之の土佐日記を読むつもりなんだけど、日常生活のリズムに合わせないとね。
 いろいろ考えて、一番惜しいことにも、幸いなことには日本語の古典的文法をほぼ忘れてしまうようになっている。正直、日本語古典文法を習っていた頃には書いたものは今から見れば本当に変だって思われていたけど、それは四季ハズレの間違いを訂正する難易度が何倍になっている。まあ、今の自分が読み取れない昔のときに書いた日本語が必ずしも間違いの日本語とは限らないけど、やはりもっと今の考えにふさわしい表し方に変えるほうがいい。今でも、ときどき良い、悪いとか無意識に良き、悪きに活用して、自分にでもそこはなんでそうしないといけないことがわからないけど、とにかく書き言葉と口言葉の区別をちゃんと区別するところから少しずつやっていくほうがいいかな。まあ、多分そうだろう。書いているうちに、まあ今日の雑談は一応ここで。

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