昔話


 ツイターではある人の話題を読んでいるうちにまたネテイブ先生の影が浮かんできた。正直彼のことはあまりに覚えていない、時間があまりにも短すぎると思っている。
 例の話題の作り手は中国人(男)、内容は間もなく相手と夫婦関係に変わる。ちなみに、結婚相手は日本人。どうやら相手の家庭は地元までも相当な権威があるそうだ。その家のお父さんがどうやらお娘に甘やかしている。結婚してから、女の両親と一緒に住むようになる予定がある。男も相手を中国に連れて暮らす念もぜんぜんない。本人が昔の生活に不満を持っている一方では、女のお父さんに強いられる要素があるようだ。(女本人も実家を離れる意思がなさそうだ。)
 それはどうやら平日読んでいたものと違う。ある学生が大学を卒業して、何年か働いてもまだ奨学金の債務を返済しているとかいうニュースとはだいぶ違う。
 日本では、高校を卒業したら、両親の家を出て、あとの金はほとんど自分で稼がなければならないほうがずっと前からのメディアによって流れている一般論だ。(周りの少なくない人もどうやらそう思っているらしい。)
 ちょっと話が外れてしまった。実はネイティブの先生についてのことは例のこととは関係がある。その方は仕事の関係で海外にいた時は恐らく日本側のを超えているだろう。一番気になっていることはやはり先生が家族のことをどう思っているかということだ。
 そう言えば、大学生涯を送ったところから故郷までの距離は上海から大阪までのより千以上超えたことは近頃に気づいてしまったことだ。何度も家から学校までの行き来を繰り返して、学校のところの生活習慣には慣れるようになったが、好きでもない嫌いでもないほどだが、一番困っていることは故郷への親しみが薄れてしまった。なんか人はどこでもいい、住みやすいと思ったら泊まればいい。
 ちなみに、故郷は不景気に陥って続いてもう十年くらいに近いだろう。もしどうしても専門に近い仕事の口を求めれば都市に行くのはどうしても避けられない道だろう。仕事のために住み場を変えつづけて、仕事のためにやすやすと生活習慣を変える。すべては無意識のままに、目的もない。そもそも私は先生と違う。もしかすると日本語がそれ以上に助けにはならない。もう分かれ道に踏まざるを得ない時が来ていたかもしれない。

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