その日、運命に出会う~『イリアス』と私~
自己紹介の前にまずは感謝を述べさせていただきたい。比文人(敬愛の念を込めて、ひぶんちゅ、と勝手に呼ばせていただいている)の愛や熱量、思いがあふれた文章を読めるのを毎日楽しみにしている。素敵企画。貴重な機会を設けて下さった杏仁豆腐先輩と、毎日私のしえない世界の切り取り方を見せてくださっている書き手の皆様に尊敬の念と感謝を。比文人
先日は推薦入試の結果発表もあり、新たな比文人が誕生しているのを見てワクワクしている。そんな中、今回お話するのは私が「運命に出会」い、そして今に至るまでの話だ。大作ばかりのこの場に連なるには、冗長で稚拙な自分語りだが、少しばかりお付き合いいただけると幸いだ。
稿者―――甘粕(@kome_ga_umai27)は、特撮と漫画とアニメとソシャゲの何かに大体情緒をかき乱されるオタクかつ、締め切りに追われる比文1年生だ。基本私のことは大体のツイートに書いてある。多分。以下抜粋。
ツイートに思考とやらかしが駄々洩れな気がするが、今回の話をきちんとするのはオンライン上、そして対面含めても初なのではないかと思う。とはいえ、話は己のオタク的側面から始まる。
高校1年生の秋ごろだったか。当時といえば感染症の蔓延、鬱々とした日々。長い休校で怠惰がしっかりと染みついた私は今日も今日とて課題を放置して、当時はまっていたソシャゲのストーリを読み進めていた。「Fate/Grand Order」、皆様ご存知FGOである。超ざっくり説明すると英霊(サーヴァント)として召喚された歴史上の人物や伝説の人物とともに世界を救う、という話である。あまりにもざっくりしているが本題ではないので許してほしい。さて、話を戻そう。2部5章前半「神代巨神海洋アトランティス」のストーリを読み進めていたオタクは、アキレウスとパリスの関係性が良すぎて、簡単に言えば沼にドボン!!!!!した。生前殺し殺されたふたりの共闘、誇り高い英雄とそこに抱くコンプレックス、ぶっきらぼうな物言いの中で相手を認め合う関係性……。アドカレを書くためにストーリを読み直したが、やはり、良い……。ともかく、関係性に良さを感じた結果、供給を求めてさまよいだした。そしてたどり着いた先は『イリアス』。世界史の授業でもちろん存在は知ってはいたが、「トロイア戦争について書かれている」ということはうっすら知識がある、程度。岩波文庫で上下巻。だが、
(トロイア戦争、すなわち、アキレウスもパリスも出てくるってことか……よし……)
『イリアス』、読むかぁ……!!!
オタクの心が赴くままに学校の図書館で借りて手に取った。それが、「運命との出会い」だった。
ここで『イリアス』について少し補足しよう。『イリアス』はトロイア戦争を描いた作品であることは間違いない。だが、戦争のきっかけから決着までが語られるわけではない。10年続く戦争のうちほんの数週間の話なのだ。だから、「アキレス腱を射抜かれるアキレウス」も「トロイの木馬」も出てこない。ざっくりいえば大英雄アキレウスが怒りから陣屋に引きこもり(メタ的に言えば上巻冒頭から下巻終盤まで)、再び戦場に戻る話である。
『イリアス』は約前8世紀ごろに成立したとされる作品である(「成立した」という表現は、元々この作品は口承で、後に文字化されたからである)。
話を戻そう。初めて『イリアス』を読んだときの驚きは、とても古めかしさを感じさせない臨場感だった。言葉遣いに読みにくさは感じたが、それよりも戦場に放り込まれたような、そんな錯覚に陥った。『イリアス』では戦場の様子が異様に細かく描かれていた。知らない人名が出てきては、「(人名)は、○○の倅で、××出身なのだが………(略)」と生い立ちが語られる。かと思えば、そこで敵将に打ち取られて、散る。その散り際も、ただ「死んだ」ではなく、詳細が語られるのだ。以下をお読みいただきたい。
これはアキレウスが陣屋に引きこもったことにより劣勢に追い込まれたアカイア軍を目にしたアキレウスの従者・パトロクロス(=「メノイティオスの勇猛の子」)が、アキレウスの鎧を借りて敵に乗り込んでいくシーンの一部だ。このようなシーンが作中には無数にある。討ち取られる敵将にはそこで初めて名前が出てくる者もいる。主要人物以外の、言ってしまえば「モブキャラ」。彼らは死すべき定めや神々の思惑を知らず、知らぬ間に巻き込まれていく。私はそんな彼らの死を嘆く間もなく立て続けに見せられる。殺伐とした戦場に放り込まれたような錯覚。眼前で繰り広げられる数え切れぬほどの死。砕けた鎧、貫通する槍、屍、貫かれてカラカラと音を立てる武具、砂埃……。
しかし不思議なことに私がそこで感じたのは、「圧倒的な『生』」だった。命の躍動、驚異的なエネルギー。あのとき私が飲み込まれたのはそういうものだった。そこにあるのは繰り返されるおびただしい「死」のはずなのに。
あのとき私の魂は確かに揺り動かされた。興奮した。かつてないほどに。
これが私の運命との出会いである。
誇張抜きで、あのとき出会わなければ私はここにいなかったと思う。
私はあの躍動を忘れられないのだ。約3000年前に語られた言葉が、なぜ私に圧倒的な「生」を与えてくれたのか。その正体を探し続けているのかもしれない。それが「学問」になり得るのかもまだわからない。
ただ、比文人として講義を受ける中で最近あの躍動のかけらを見たような気がした。あの妙に詳細な人名と死の羅列には、鎮魂の意味がある、そう講義の中で聞いたのだ。ああ、そうなのか、と腑に落ちた。彼らにも名前があり、歩んできた道のりがあり、そして戦場でさいごのさいごまで生ていたのだ。その証を、命を、彼らの「生」を、死を語ることで讃えていたのか、と。私は思わず天を仰いだ。
言うまでもなく、やはりこれも未だ浅学な私の都合のいい解釈であり、私が私の感じた躍動を語ることで自分の今に意味を持たせようとしているだけなのかもしれない。
語る、語ることで意味を持たせようとする。あれ、何だかちょっと『イリアス』に通じるものがあるのかもしれないな、なんて思ってみたり。私の感じた躍動は、そしてそれを薪に走ってきた私の行為はは学問なのかはわからないけれど、その影響か今、「語ること」の奥深さに興味をひかれている。まだまだ学問的に深まってはいないが、何か糸口になるんじゃないかなと考えている。もちろん『イリアス』含めて、西洋古典についてももっともっと学ぶことだらけだ。
今後、私を突き動かした衝動をそのまま学問にすることは現実的に叶わないかもしれないし、別の切り口から『イリアス』、西洋古典を深めていくのかもしれない。はたまた違う方面にいくのかもしれない。しかしどう転んでも私はこう語るだろう。
―――確かにあの出会いは、ここにまで私を連れてきたのは、運命だったのだ、と。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。秋B末、乗り切るぞ……。感想いただけると舞って喜びます。
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