ありがとうの言葉の中に在る情報について
誰かと話をする時、言葉を使ってコミニュケーションをとっています。
誰かと言葉以外でコミニュケーションをとる時、顔の表情やボディランゲージ、又はアイコンタクトなどを使って表現することもあります。
誰かと話をする場合、言葉や表情以外でも
もっとたくさんの情報が非言語の中にはあります。
その情報はエネルギーとして存在して人やモノに影響を与えていると考えられます。
赤ちゃんはエネルギーで感じる
先日、うちの2歳の坊やと一緒にいた時
まだ上手く喋ることも出来ない坊やは
何かに不満足そうに泣いていました。
お腹が空いたのか怖い事があったのか聞いても教えてはくれません。
言葉で伝われば良いのだけれど、それが使えない状況です。
とにかく抱っこして落ち着く様に促すけど、それでも中々泣き止まない。
私は、静かにしなさい!って怒るけど、もっと泣き出す始末。
コレはダメだなと思って、静かに鼻歌を聴かせて、まずは自分自身がこの状況になれる様に
そーーーっと小さくハミングする。
この鼻歌に沿って私の気持ちも落ち着いて、しばらくすると坊やもピタッと泣き止んだ。
きっと言葉よりももっと前から使えてたテレパシーって生まれた赤ちゃんは当たり前の感覚として持ってるのかなって感じてる
頭での理解と心での理解の違い
言葉って柔らかくも温かくも刺々しさも汚らしさも軽くも重くも自由自在。
ただ、この言葉って聞く人によって変わるからまた不思議。
例えば、仮に『犬』ってキーワードを発したとして、一人は野良犬を想像して、またある人はトイプードルを想像したかもしれない。
受け取る側の状況で同じ文章でもどんな風にでも受け取れるから。
それもまた日本語の面白さでもある。
″こんにちは″って挨拶をして
″こんにちは″って返事が返ってきます。
″こんにちは″に含まれる情報は人によって様々です。
こんにちは(あ、人が居たからとりあえず挨拶しとかなきゃ)って言う人と
こんにちは(今日も元気いっぱいで誰かのお役に立ってくださいね)って言う人は
同じフレーズで話してるけど、中の情報がまったく違います。
きっと後者のような人は日頃からそのような思いで祈り方で日々を暮らしているから自然と言葉に想いが乗っかって、色々な人たちに影響を与えているんだろうと思う。
簡単な様で簡単ではない。
コレは1日1日のほんの0.1%の努力の結果で積み重ねによって成し遂げられる尊い行動なのだと思います。
すべては共鳴している
そして、その思いは共振していきます。
誰かのありがとうが僕のありがとうで
それを受け取った誰かもありがとうって繋がって行けたらとても素晴らしい世界になるのだろう。
言葉はうまく出なくても、表情が下手くそだとしても、心の在り方で人には伝わってる共鳴してる。
今日も皆んなの可能性が最大限に発揮されて元気に溌剌と生きていけます様にって願うことっていうのは
それはきっと自分自身に言い聞かせて、自然とその御心が言葉や態度や表情などに表れていくのだと感じています。
目の前の人やモノこそ大切に
今、自分の周りにある人やモノや風景が
見えてる世界があなたの世界で
キラキラ輝いて見える人もドス黒く病んで見える人も、同じ風景でも全然違う情報で見えてる
その目の前のお茶だって
もともとを辿っていけば
誰かがお店に並べてくれて
そのお店まで誰かが運んできてくれて
そのお店に配送する前はお茶を摘んだおじちゃんがいて
そのお茶が植えてある畑があって
その畑には水や太陽の光があって…
そう、もともと何も無かった所から誰かのおかげで、そうやって続いていく命の連鎖で今日も私は生きているんだって
そんな想いで目の前の物事に向かっていけば
人やモノや風景たちにもっともっと感謝して自分自身も成長していけるんだって
そう、、、自分自身に言い聞かしている。
今日も誰かのお役に立てる様に。
日々を愛して生きていこうと思ったんだ。
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