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四十不惑

朝起きて、自分の身支度を整え、いつもよりたっぷり寝た子どものお世話をする。そんなありふれた朝だったけれども、ひとつだけいつもと違ったことがある。それは私が40歳を迎える初めての朝だったということ。


30代を振り返ると、分不相応な挑戦をした10年だった。

30歳で「周りの先輩は皆独立しているから」という理由でフリーランスエンジニアとなった。システム開発は理屈っぽい私に合っているところもあったけど、センスがない私は美しいコードが書けず苦労した。

ある程度業務で経験を積んだあとは自分の特性を活かすためにコンサルタントを名乗るようになった。しかし顧客の課題解決できるほどスキルがなかった私は各所でご迷惑をお掛けした。文字通り辛酸を舐めた時期だった。

何とか自分を変えたい一心で、35歳でグロービス経営大学院に入学。優秀な人と机を並べ、気の利いた発言ができない私は自分の凡庸さを実感し、益々辛くなった。一方、順風満帆な人生を歩んできたクラスメイトにはない雑草根性と未来志向など、自分の長所に気づけたのもこの時期だった。

39歳でキャリアコンサルタント取得に挑戦。学んだ期間は短かったけど、「先を読みすぎず、目の前の人に寄り添って共感することの大切さ」を学んだ。


沢山の挑戦と同時に、一生分の喜びと悲しみを経験した10年でもあった。

35歳になる直前に旦那さんと出会い、会ったばかりの他人とは思えないくらい意気投合、2ヶ月半後の私の誕生日に入籍した。

37歳でおもち出産し、「この子がおばあちゃんになったときに『産まれてきてよかった』と思えるよう、全力でサポートしよう」と誓った。それなのに2年も経たないうちに亡くしてしまい、自分の無力さを呪った。

私たちの悲しみをよそに、お腹の中にいた白玉ちゃんは順調に成長し、産まれてくれた。ここ最近の特訓の成果が出て、今日寝返りに成功した。あやすと笑うようになり、私たち家族を照らす灯りとなっている。


フリーランスになったとき、10年後には人生の方向性が見えているとぼんやり想像していた。10年経った今、その景色は少しずつ解像度が上がってきたものの、まだ一歩踏み出すのを躊躇している。

私の家系はまぁまぁ長寿で平均寿命90歳なので、恐らく私に残された月日はあと50年。半世紀で何ができるだろうか?
遠い未来はボンヤリしているけれど、10年後に天命を語れるよう、今目の前のことをやりきろうと思っている。

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