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幸せのかたちはもっと自由でやわらかい

まわりに結婚すると報告したとき。
もらった言葉は、その人の結婚への印象をあらわしていると思うことがあった。


「いいよなぁ〜新婚は」とニコニコ話す人は、甘い新婚生活を送ったんだろうなと想像できたし
「準備大変じゃない?ゆっくり休んでね!」といたわってくれる人は、かつて準備に苦労したんだろうなと想像できた。


「結婚します」というシンプルな報告にたいする反応は面白いほどにさまざまだった。


いろいろなことをすすめながら彼と私はどんどんすれちがった。
やっぱり結婚したくないかもと思いつつ準備をすすめる日々。
いまならやめるの間に合うかも、と彼と夜中まで婚約解消について話したこともあった。


世間体やまわりも大切にする彼と、本質や効率を優先したい私はすれちがう。
そこにお互いの家族や友人がはいってくる。
譲らなければならないことがでてくる。
息がつまる瞬間がある。


私はたえられず、数週間1人暮らしをした。
すきなものをすきなときにたべる。
すきなときにすきな入浴剤をいれてすきなだけお風呂につかる。
ゆっくりと見たい番組を見て、晩酌しすきなおやつをたべる。
友達と電話やメールをして、笑い愚痴をいう。
流行のものをネットショピングし、すきな本を読みながらきづいたら寝落ちをした。
すごく幸せだった。


寝る瞬間のあたたかい布団には自分しかいない。
かといって私には友人も家族もいて、人のつながりもぬくもりも感じられている。
ぬくぬくしながら「いま本当に幸せだな」と思えた。
平和で快適なひとりの時間や空間は天国のように感じた。
隣に彼がいても幸せだが、あたたかさは誰かといなくてもそれと同じくらいしっかりと心身に感じられる。


結婚したからといってずっとだれかと一緒なわけではない。
自由な時間はへっても孤独な時間はふえる。
家族がふえるぶんむしろ離れてひとりで考え、かわりに行動し責任をとることもふえる。


嬉しいことは2倍に、かなしいことは半分になるというけれど。
結婚しなくても私は十分幸せになれるんだ、とあらためて感じさせられる日々をすごした。


日本は結婚へのこだわりが強い。
結婚してるほうが偉い、大家族のほうが幸せみたいなマウントにもたまに遭う。
いやな気分になりつつどこかでそう思っている自分もいてつらかった。
そんな自分もいやになった。


いまでも女性は結婚、妊娠、出産して一人前とか時代錯誤なことをいう人もいる。
そういう人にあうと胸が痛くなる。
女性の幸せは自分のやりたいようにストレスなく生きることで、生物学的な女性の役割をはたすことそのものではない。
幸せのかたちをきめずありのままに女性が生きるすがたが1番尊い。


幸せのかたちはもっと自由で柔らかい。
今そう思う。

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