カラダと仲良くなる練習〜フェルデンクライスメソッド®のこと(Suiho Bewigさんインタビュー)

カラダという自然を観察する
・自分のカラダがずいぶん遠いなあと感じています。若いときのようにイメージ通りにカラダが動いてない。子どもの運動会の大人の競技の時間ではしばしばそのギャップでコケてる大人たち(自分もそうですが)を見かけますが、ともかくそういう自覚がすこしあって、もうすこし自分のカラダと仲良くなりたいもんだ、とここ数年思っていました。
・山登りでも釣りでも、散歩でも家事でも、体操でも瞑想でも、はたまたセックスでもいいのですが、とにかく自分のカラダという自然をゆっくり観察して、少しづつ理解を深めていって、だんだん仲良くなることができたらいいなと。そうすることで、いろんなことがはっきりとおもしろくなっていく気がします。たとえば精神的なふんばりみたいなものや集中する時間なんかも、カラダと仲良くなっていることによって、質が変わってくるんじゃないかなと。そして他人のカラダを想像できて、共感したり、喜びや痛みがわかったり、そういったことにも繋がってきそうだなと。

20世紀前半の身体をめぐる冒険
・で、フェルデンクライスについて。フェルデンクライス・メソッドは、ウクライナ生まれのイスラエル人のエンジニアで物理学者のモーシェ・フェルデンクライスさん(1903-1984)という人が開発した身体のワークで、どういうものなのかは下のSUIHOさんのインタビューを読んでいただければと思いますが、個人的には20世紀前半のカラダをめぐる実践や思想について興味というのがありました。
・20世紀前半、特に1920-30年代は世界史的にも大激動してましたが、知的にもめちゃ沸騰していた時代で、資本主義はやばいわ共産主義や社会主義も盛り上がるし、量子力学がものすごいジャンプをしてる間に、芸術でも山ほどラディカルな冒険が花開いた時でもあります。
・人間のカラダについての思想と実践でも、このおもしろい時代にいろいろと新しい動きが出てきていて、今盛んに行われているピンからキリまでの身体的なワークの大きな源流がこのあたりにあります。そしてフェルデンクライスさんもこの時代の空気を吸っているはずで、それはどんなものなんだろうという興味があったのでした。
・そんなアタマ先行の脳の能書きはいいからはやくカラダで知りたい! と思いつつも知的な好奇心止み難し!ということで、SUIHOさんにお話を伺いました。

SUIHO
Feldenkrais Practitioner/ 国際認定フェルデンクライスプラクティショナー Awareum~からだと気づきの場~主催。”水と踊りのまち”岐阜県・郡上八幡を拠点に、東京や日本各地でワークショップを開催中。
https://www.awareum.com/


ーーーまず、フェルデンクライスでは具体的にどんなことをするのか教えてください。

Suihoさん:フェルデンクライスメソッドでは、通常声の誘導を聞きながら動くグループレッスンと、私の手を介して体を動かしてもらう個人レッスンとがあります。今回のワークショップではグループレッスンをするので、それについて詳しく説明させていただきますね。
グループレッスンは「Awareness through movement®(動きからの気づき)」という名前がついていて、その名の通りからだゆっくりやさしく動かすことから自分自身について積極的に探索をしてゆくことをします。他のあらゆるメソッド決定的に違う点は、動きのお手本が”ない”ことです。


お手本がないので、はじめは自分のしていることがあっているのかどうかと、戸惑う方が多いのですが...エクササイズや筋トレ、ストレッチではないので「正しく上手にやること」はこのメソッドでは大事なポイントではありません。それよりも私の声の指示を頼りに、どのようにすればもっと楽にスムーズに動かせるのか? という問いかけをしてもらいながら、自らの力で動かし方の癖を見つけたり、より快適な動かし方を見つけてもらうことをします。私のほうで、普段は意識しないような細かい箇所へ注意を促すようなことを言っていきますので、それらがみなさんの新しいからだへの気づきや発見となり、動きの質の向上へとつながってゆけばと思っています。

ーーーお手本がない、というのはおもしろいですね。無意識にお手本を探してしまう、つい”正解”とされてるものに頼ってしまう、自分の中にあるものを放り出して外にあるなにかに委ねてしまう、というのは根深い癖になっているなと自分でも感じます。そこから少しでもはなれるためのいい練習になりそうです。いま、”動きの質の向上”という表現をされていますが、質の向上というのはどういうことなんでしょうか?

Suihoさん:動きに伴う感覚に注意を向けることで、からだの動きの詳細を把握することが可能となります。例えば、からだのある部分とある部分とが繋がっているということに気づくだけで、動きの「質」そのものに変化を与えられることだってあり得るわけです。その結果、絶対とは言い切れませんが、痛みや不調から開放される場合もあったり、普段みなさんがやっていることのスキルやパフォーマンスのレベルを向上させることも可能となるんです。

ーーーそれによって、カラダと心にどんな変化が起こるんでしょうか?

Suihoさん:それは受ける人によって様々ですね。
同じレッスンを受けても、みなさん全く違ったことを感じていて、いつも面白いなと思います。なぜみんな違うのか? と聞かれたら、それはみなさんそれぞれの普段のからだの使い方、動かし方、つまり習慣性が違うから、結果が違うようになる、と答えています。
例えば、ある人は体が軽くなったり、もしくはずっしりと地に足がついて重くなったり、背が高くなったように感じたり、視覚が鮮明になったり、呼吸が楽にできるようなったり、急激に眠くなったり、筋緊張が取れてリラックスできたり...といろいろです。
そしてもちろんからだの在り方がかわると、思考や感情も古いパターンを保持出来なくなるので、外側からは見えないところで何か変化を感じることもあります。が...いつも思うことですが、結果ばかりを考えるのもどうなのかと。現代人は何かこんなご利益や得することがあるからやる!ということに囚われてすぎていて、とてもつまらない。多くの人が何か漠然としたものに恐怖感を抱ているのは残念でならないですね。そこにこそたくさんの面白さが詰まっているのに!

ーーーなるほど....。つい結果をもとめてしまうというのも、よくない癖ですね、たしかに...。すみません(笑)。
しかし癖や習慣は自覚することで変えることができる、というのはとても勇気づけられるお話です。おそらくこれは人類が古くから瞑想だったり身体的な修練、修行みたいなものを通して取り組んできたことだろうと思うのですが、癖や習慣(仏教だと雲に喩えられたりしますね)を取り除いたとき、カラダから何が現れるのでしょうか。

Suihoさん:とても興味深い質問です。雲がとれて晴れた時...からだの痛みや不調から解放させるばかりではなく、その人らしさ、その人が本来もっている性格や「私は私である」という基底の部分が見えてくるでしょうね。私たちは生まれてから常々、家や学校や社会で、こうしなさい、ああしなさい、こうであるべき!という考えを教えられますから、その期待に応えようとどんどん自分自身を順応させていくが故に、からだの在り方、動き方や思考に癖が出てきてきます。まわりに合わせたり、協調性を持つことは一種の美徳であるのかもしれませんが、そのある種の不要な習慣性に気づくことで本来の自分というものに対面することは可能なことです。

そしてフェルデンクライスではそれらの習慣に気づいてもらうことを自分自身でしてもらいます。私の立場から何かを与えたり、教えたりしません。主従関係のない学びの場なんです。私はこのメソッドをやるようになってから他のメソッドや○○健康法といった講座にまるで行かなくなったんです。というのも、「自分のことは自分がよく一番わかっている」ということを前提にフェルデンクライスはありますから。それは、自分のやっていることを過信しているのでは全くなくて。要するに誰かよくわからない専門家がでてきて、何かの型にはめるような誘導で、新しい自分になりましょう!というのは本当に違和感があることだとわかって。全てのことに正しいやり方や在り方はなくて、誰かが言う「何か」よりも、もっとみなさん自分自身に何を変えてゆく力、パワーがあるんだってことに私は気づいて欲しいんです、心から。

ーーーなるほど。大切なものはどこか遠くではなくじぶんの内にあるよ、という青い鳥のお話のようですね。いいなあと思うのは、それに気づくための鍵と扉が、一番身近な自分のカラダだというところです。「ほんとうのことは自分の心の中にありますよ」といったようなことを言ったり聞いたりすることがありますが、たぶんそれはほんとうにそうなんでしょうけど、でも自分の心ってけっこう間違えるというか、勘違いしやすいじゃないですか。カラダはそのへんを間違えない。はっきり気づかせてくれるなーと。

Suihoさん:ははは(笑)。終わりなき禅問答みたいになってますが、大丈夫ですか?(笑)。
「間違えちゃう!」たとえそうだったとしても、それはそれでカワイイじゃないですか〜! もっと自分に対して寛容であって良いと思いますよ。
でも冗談ではなく、からだを入り口にするっていうのは、実は一番手っ取り早いんですよ。からだは輪郭があって明快で捉えやすい、そして誰にでもできる簡単な動きをするというのもフェルデンクライスにおいては大切なポイントですね。

ーーー誰にでも簡単にできる、というのはとってもいいですね。今度行われるワークショップでは、”体のコア(真ん中)”と”呼吸”という2つのテーマということですが、狙いというか、思うところを教えてください。

Suihoさん:だから狙いを定めないワークだってことをさっきから100回くらいいってるじゃないですか...(笑)。2つのテーマはみなさんの関心事であるのは確かなのです...でも私がねらいを定めて説明をしすぎてしまっては、みなさんの学びに制限をかけてしまいますから。一応毎度テーマ的なものは決めていますが、実際は参加する人が勝手に思いたい事を思って帰ってくれたらベストですね!

ーーーああ愚かなり...バカですみません。癖ってこわい。ご利益や結果を考えすぎだよね、という話をさんざんお聞きしているのに。頭だけで考えているとろくなことがないというのを身をもって示してしまいましたね。
お恥ずかしい限りですが気を取り直して最後にもう一つ質問です。このワークをはじめたフェルデンクライス博士は柔道をやっていたそうですね。Suihoさんもブログで書かれてましたが、柔道の名人である三船久蔵さんの組手のお話。僕もあの映像は大好きで、日本人のカラダ使いの一つの完成形だなあと惚れ惚れしてしまうのですが(まるでダンスのようです!)、あの映像とフェルデンクライスにはなにか共通するものがあるのでしょうか。

Suihoさん:そうですね、博士自身とても熱心な柔術家で、西欧人としてはじめて柔道の黒帯を取得した経歴もあります。三船十段が大男たちを次々と投げ飛ばしていく映像は本当に華麗で、ええ!演技なの? 本当なの? と私も疑ってしまうほどでした。確かな柔道の心得と経験を持った博士でさえ、初めて三船氏の動きを見たときに「これは茶番だ!」と思ったらしいのです。けれども、それが後に彼自身の考案したメソッドに多大な影響を与え、結論として「力が強い者が勝つではなく、よりまわりとの統合性の高い者が最後には勝つ」という考えを導き出しました。
”統合性が高い”という意味は、人が一人間としていかに自分が機能しているかに注意が向いてることだと私は博士の本などを読んでそう理解しています。「自分が何をしているかがわかれば、どんなことだってできる。」という博士の残した言葉を聞くたびに、私はあの三船氏の映像を思い浮かべますね。

ーーー「自分が何をしているかがわかっていれば」。それが一つの目指すところなんだなということが、少しわかってきました。あとは実際にカラダをつかってだんだんそれをわかっていけたらいいなと思います。ありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?