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人間は、基本的に、他者の成功体験よりも失敗談に興味を示す。なぜなら、自分が経験したことのない「他者の失敗」は、成功体験よりも共感を得やすいからだ。

 実のところ、求心力のある人というのは、自分の失敗体験を面白おかしく話せる特性を持っている。

 そう、まさにアレ、「やっちまったな!」だったり、「しくじり先生」だったり。お笑いのネタやテレビ番組だけではなく、マンガやアニメ、ドラマや映画も、「人が失敗する瞬間」を見た者は、そこに自分自身を投影することができる。

 一方、成功体験というのは、スポーツや格闘技などにも見られるように、偶然が重なって勝つことが多く、負ける時にはそれ相応に「要因」がいくつか存在する。仮に、前回負けたその要因を全て洗い出して修正したとしても、次勝てるか否かは全く別の話。運が良かったとか、タイミングが良かったとか、目に見えない条件が重なっている時に人は勝てる。

 だからこそ、スポーツや格闘技というのは面白く、戦っている当事者たちも、それを観戦している人たちも、いくつかの偶然が同時点でピッタリ重なる瞬間を見たいのだ。競馬・競艇・パチンコなんかのギャンブルがそうだろう?金をつぎ込めば勝てるというのなら、もはやそれはギャンブルではなく、どちらかというと投資というよりは「投機」に近い。

 投資は利益が見込めるところにお金を投じることを言うけれども、投機は利益が見込めない、大方損失が生じることがわかっているような状況下でお金を投じることを言う。それでも、条件さえ重なれば、競馬で言うところの万馬券が当たることもあるわけだ。年末ジャンボやサマージャンボもその類。

 例えばだけど、これまでに宝くじで億単位のお金を手にした人たちが、いつ、どこで、いくら手にしたのか、そのことに気付く人なんていうのはごくごく稀か、もしくは気付くことも知ることもないと言ってもいい。当選した当事者からすれば、それは人生におけるとびっきりの成功と言えるかもしれないけれども、その事実を他者が知ったところで、当事者以外の人たちの人生には何一つ関係がない。

 中には、そういう事実を知り得た悪人が、投資の話を持ち込んできたり、儲け話を持ち込んできたりと、騙して搾取してやろうとか、たかってやろうとかいう底意地の悪い輩たちを呼び寄せることにもなりかねない。

 っていうかそもそも、宝くじが当たったという事実を、人生における成功だと思い込んでしまった人たちは、その後の人生を自ら破壊する可能性が極めて高いし、あっという間に巨額の当選金は消し飛んでしまうだろう。それのどこが成功なのかと思うわけだ。

 むしろ、そうやってせっかく手に入れた巨額のお金をどれくらいの期間でどんなことに使って消し飛ばしたのかという失敗談というのは、一言に「エンタメ」になり得る。派手であればあるほど、人が経験する失敗というのはエンタメになる要素を多分に含んでいるとボクは思うわけだが?

 自慢話をしているご本人様に問う。自分だけが気持ち良くなるだけのその自慢話は、一体誰得なのか教えてくれないか??「オレってばすごく幸せなんだぜ!」「オレってばこんなに高級な腕時計を持ってるんだぜ!」「あたしぃー、いま彼氏5人いて忙しいの♬」「このカルティエのブレスレット、彼氏に買ってもらったの♬」

 「2へぇ~」くらいかな?だって、すごいねとしか言いようがないじゃん。聴かされてる側からすればそれがどれほど凄いことなのかがわからなければなおさら。でも、人の派手な失敗経験って、多くの人たちの興味をそそる性質があると思わない?聞けば聞くほど惹き付けられる。

 おぉーんもしれぇーーーっ!!!!

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