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【創作】幸・不幸の振り子理論

 幸せになりたい・・・そう願う人は非常に多いだろう。しかし、本質的にそれがどういう状態を表しているのかを具体的に、正しく認識できている人はきっと少ないのかもしれない。

 そんなことをふと思うことがこれまでに何度もあった私の単なる思い付きから出た理論が「幸・不幸の振り子理論」だ。

 よくトップ画像を見てみてほしい。まずあなたが思ったことを当てて見せようか。それはだな・・・

 とまぁ、きっとそんなところだろう。わかる、わかるよ。だって、左側が幸せなことで、右側が不幸せなことと書いているのに、左右どちらも振れ幅によって記載されているのは「依存」「病」「死」で共通している。「だっておかしいじゃん!一体どういうことなの?」ってなるよね。わかるよ、そんなこと。

 でもね、まさにポイントはそこなんだよ。おかしいと思うことがそもそもおかしいってことを私は言いたいのだよ。今からすごく意味不明なことを言うけれども、なるべく理解してもらえるとありがたい。

 これは完全に私の個人的な論理だけれども、幸せなことも不幸なことも結局どちらを経験しようと、順番が異なるだけで、至る結果は同じだということ。

 じゃあね、今から言うことは敢えてシンプルにわかりやすく説明するために例として挙げるからね?

 超絶的な快楽を与えてくれる危険薬物の存在と、それがどんな結果を招くかはもう大体皆さんは知識の上ではご存じだろう。つまりそういうことよ・・・。

 そうか、わからないか。では説明しよう。危険薬物は摂取することで瞬間的に「普通に生活している状態では絶対的に体感することのない快楽」を得るもの。一般的に知識として知られている大麻や覚せい剤やMDMAなどの危険薬物のことを指す。

 これは使用する本人にとってみれば、トップ画像で言うところの左側「幸せなこと」なのかもしれないけれども、おそらく一度目から正常領域を簡単にはみ出して依存領域に振れるんだろう。そして、その日から危険薬物を手に入れるために大金を湯水のごとく垂れ流してしまう。それ自体はおそらく右側の「不幸せなこと」として依存領域まで振れる。

 左右どちらも依存領域を往来していくうちに、容易に病の領域にまで振れ幅を広げ、挙句の果てには死を迎えることになる。

 薬物に手を染める人たちの動機や心理は私にもよくわからないが、彼らはそういう結果に至ることを自覚していて手を出しているんじゃないだろうか。現実的なことを言うと、おそらく国家でさえこれを完全に抑止する術すら持ち合わせていないまま何年も何十年も過ぎていると言っても過言ではない。

 私が思うに、人間が体感してもいい快感や快楽というのは必ず上限があって、それを遥かに超えるものについては、元々の人間の感覚を破壊し、元の状態には戻れなくなるリスクがあって、だからこそ「危険薬物」という位置づけで国が規制しているのだと認識している。

 では、なぜ危険薬物は蔓延するのか。不思議だよね。でも、私にはなんとなく、それが社会に蔓延っている主な要因がわかるような気がするんだ。特に今このご時世、安倍元総理を銃撃した現:山上被告のように、「もう何も失うものはない」と決意している無敵の人に分類される人たちにとっては、死は畏れるに値せず、死よりも畏れるものがないと認識している人たちだ。

 イスラム過激派組織の自爆テロを連想するけれども、体に爆弾を装備して自ら起爆装置を起動させて爆発するといった行為が人間にはできてしまう。掲げる大義は何であれできてしまう。

 人として正常に生きることを諦めた人間はいつ何をするかわからない。おそらくこれに例外はなく、誰でもそういうことにはなり得る。

 皆さん、これもまた私の個人的な憶測でしかないのだけれども、空気が乾燥する冬のシーズン、やたらと火事のニュースが報道されてはいないだろうか。偶発的に起こる火事がこんなに立て続けに起こるだろうか?私が思うに、火の不始末などで起きた火災ではなく、その多くが心中や嘱託殺人に類する放火事件なのではないかと考えている。

 火災の発生件数からして明らかにおかしい。空気が乾燥する季節に乗じて事故を装って火を放つ人たちというのが一部には存在するのではないかと私は見ている。

 危険薬物の話から火災の話まで続けて書いたけれども、これも振り子理論に当てはまるのではないかと私は考えている。普段の生活が辛ければ辛いほど自分にとっての最大の快楽を求めるようになるという心の変化は、言われてみれば理解できる。

 反対に、経済的に恵まれ、異性にも恵まれ、あまりにも順風満帆な幸せな暮らしができていたとしても、自身が感じている幸せの感覚は年々麻痺していき、それでは満たされなくなっていく。敢えて定義するなら「幸・不幸の振り子の定理」。もっと振れ幅を広げたくなるのではなかろうか。

 現代においてはなおさらのこと。モノやコトに溢れた社会では、お金があればあるだけいろんなことができる。しかしそんな幸せな暮らしもきっと長くは続かないのだろう。本当の金持ちの金遣いを見てみればわかる。結局、家や車には興味がなく、着ている服装も地味なもの。物欲以上の何かに興味が移っていると考えられるが、その多くは投資。投じた資金をさらに増やす毎日。これに飽きた人が次にやることは慈善事業だったりする。

 経済的裕福さのゴールは、自分のためではなく恵まれない子供たちや障がいのある人たちのために活動すること。もはやそれ以上のことは人間にはやりようがない。ただ、これは何の障壁もなくうまく活動できた場合であって、基本的にお金のあるところにはいろんな人たちが群がってくるもの。慈善団体と宗教の結びつきが強ければ、政治との結びつきも疑われて当然。一筋縄ではいかない。Colabo問題がまさにそんな感じだなと思う。

 振り子理論から分析するに、実に多くの人々が幸・不幸の振れ幅をブンブン拡大しようとしている。幸せの水準と表現するなら、現状に満足できなくなったらさらにその上の水準を目指そうとする。金持ちがさらに金持ちになっても社会全体は疲弊していくのは、必ずしも金持ちが社会のために貢献するとは限らないから。それに尽きる。そんな金持ちたちも彼らなりに苦悩を抱えていることは間違いない。

 これほど満たされない世の中で金持ちになったとて、何をしても一向に満たされることがない。そんな彼らが求めることは、お金などで得られる快楽ではなく、そのさらに上を行く極上の快楽なのではないだろうか。お金も権力も持っている者がその領域に足を踏み入れると、薬物使用の疑いがあっても事実をもみ消すくらいのことはするのではないだろうか。そういう社会の闇でしか満たされなくなるのが現代社会における富裕層なのではないか。

 そんなことになるくらいなら金持ちにならなくてもいいし、特別贅沢な思いをしたいとも思えないのだが。改めて考えてみよう。

 そう思うということは、自分よりも幸せそうな誰かを見てそう思うのか、それとも自身の感じる不幸からそう願うのか、実際どこから来る願望なのか私にはわからない。今となっては、結婚をして子を授かることも人々にとっての最高の幸せとは言えないご時世になっている。

 再定義が必要な気がするが、皆さんはどう思う?トップ画像の「正常領域」で満足に生きていけるなら私はそれでも構わないと思っているけれども、皆さんはどうだろう。何かに魂を売って依存し、病に侵され、死んでも構わないとでも考えていないだろうか。

 容易に魂を売り過ぎなんだよ。何にってそれはお金だったり性だったり、単純に快楽だったり、自身を満たしてくれるものなら何にでも魂を売る気なのか?そこまで短絡的な思考しか働かないのであれば、誰にも止めようがないよね。残念だけど。

 まぁ危険薬物の例は極端だったかもしれないけれども、身近なところで言えば酒やたばこやギャンブルも振り子理論で語れるんじゃないかね。アルコール度数、ニコチンやタールの含有量、パチンコや競馬での勝敗金額。どれもこれも振れ幅が大きくなればなるほど体験できる快楽は青天井。でも、結局は身を滅ぼすんだよね。

 一時期私もパチンコやらスロットやらにハマってた時期があるけれども、それはスロットで言うところの4号機時代だったからで、国の規制が繰り返されるうちに旨味がなくなって自然に辞めた形だ。今どうなってるんだろうね。全く興味がないから全然情報が入ってこないしわからない。射幸性をガンガンに煽っていた時代は出玉率も良かったけれども、今はほとんど高額の遊びになっていて儲け目当てでやるものではなくなっている。

 自分としては良い流れで、辞める機会となったのは良かった。今思えば言うほど面白かったわけでもない。一時的には依存していたのかもしれないけれども、市場規模が加速的に縮小し、プレイヤー人口も数百万人にまで減少してきている事実を知って、依存するほどでもなくなったというのが正直な感想。

 長く続いてもどの道良いことがないのが幸・不幸で、正常領域をはみ出す振れ幅にまでなれば、人生における何かしらの歪(ひずみ)が生じるのだと私は思っている。度が過ぎる幸福も、度が過ぎる不幸も、なるべく回避して生きていく必要があるんだろうなと勝手に結論付けている。

 年末ジャンボやらサマージャンボやらオータムジャンボやら、高額当選を狙って大事な貯金やボーナスをつぎ込んでいる人たちを見ていて、そんなことをせずとも正常領域で感じられる幸・不幸で満足しておいたほうがいいのになぁーなんて思う。

 それでも宝くじの仕組みが何十年も成立し続けているのは、それだけ大金を欲している人々がいるからなんだよね。お世辞にもマネしたいなどとは思わない。

 最後にこの一言を添えて今回はここまでとする。

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