見出し画像

【毎月100円アップ有料記事】変化してきた歴史がありながら、この先の変化を拒むというのは、人生を不幸にする。だから、変化を楽しむのだ。

 すでに変化したこの世界に対して、「パラダイムシフトは起こらないのでは?」という考え方を持っている人は少なくない。人々に深く認識されたウィルスの恐怖は、おそらく数年経っても風化することはないのだろう。これほど不確実性の高い世界において、「起きたことは二度と起こることはない」と断言できる人間などどこにもいない。

 実際に起きた過去のリスクはもちろんのこと、未だ見ぬリスクが起こることも、世界に潜在する不確実性に含まれている。今は「コロナウィルスと共生する生活」という言葉を多くの人があちこちで遣うようになっているけれども、実際には、すでに世界中の人々がそれぞれの環境下に存在するリスクとこれまでずっと共生してきたはずだし、それと同時に、世界は変化してきたはず。

 どんなに拒み続けても、世界が変化する時というのは否が応でも変化した後の生活に慣れていく。根底にあるのは、誰にとっても「生きること」であって、そのためならば人は手段を考え、選ぶ。試行錯誤の中で、徐々に人々の認識は改まっていく。ある程度の覚悟と、ある程度の妥協とを、その時々で繰り返していく。

 これからも、コロナの感染者数と死亡者数はカウントされ続けるのかもしれない。人類史が始まってから、一体何人の人々がこの世を去っていったのかについて考えることにはさほど意味はないのかもしれない。今この世界で生きている人たちには、生きる以外に考える必要はないのだから。

 でも、生きることは最低限としても、やっぱりどうせ生きるのなら、それが目的というのももったいない。どうせ生きるのなら、変化を楽しみながら生きるほうがいい。一概に、変化そのものが良いことだとは言い切れないけれども、如何なる変化も起きてこそ人の本能が刺激を受ける。

 変化を楽しむということがその都度一喜一憂するということではなく、時には、ジッと静かに変化を見守ることも大事な時がある。

 自分以外の誰かが起こす変化というのは、常に一定以上のストレスとなって降りかかってくることがほとんどだろうけれども、毎度いちいちイライラするのも疲れるでしょう。裏で一生懸命批判したところでその変化を基に戻すことなんて不可能でしょう。でも、誰もが言いそうなことをこれ見よがしに言うことには何の意味もない。

 人の創造力(クリエイティビティー)が試される時は、不自然な変化が起こった時。多くの人たちがすぐには理解に至ることがない突然の変化が起こった時。何やら、500人の政府批判集団が、首相を提訴するとかいう記事を見たけれども、たかだか500人が訴訟を起こしたところで一般市民には見えない強大な力が働き、小銭を支給されて黙らされるのがオチではないのだろうか??

 いや、そうやって抗議することでね?本当に全国民にとってプラスの結果に至るという確信があるのならまだしも、仮にだよ?首相を引きずり下ろしたからと言って、彼に代わる理想的なリーダーが今この国に存在するとは思えない。ボクが知らないだけかもしれないけれども、国の首相を吊るし上げるようなことを許している現代社会に生きる人たちがここぞとばかりに批判を浴びせまくっているこの状況、正気の沙汰とは思えない。

 本当に何とかしようと真剣に考えて動いている人間は、わめき散らかすようなマネはしないんじゃないのかな。求心力ってただ批判する人間にはないでしょうに。決定に対して批判する人って基本的に決定の前にはそれを抑止するに足る行動は起こしてないんだよね。どこぞの野党の議員みたいに。それにさ、首相も人の子なんだから、ミスや失敗はあるでしょうよ。仮にそれが意図して起こしたものであったとしても、どんな形であれ許す国民でなければんらないんじゃないかな。

 いよいよ日本も新興国の暴動のようなことが頻発するような低俗な国家に成り下がっていきつつあるのかな?国政に対する国民のコンセンサスっていう部分では、日本は海外に比べて非常に不足しているような気がしてならない。事あるごとにTwitterなんかで批判しかしないなんて、愛国心の欠片もない。

 英語で愛国心はpatriotism(パトリオッティズム)と表現するけれども、アメリカのそれとは比較にならないくらい、日本は弱いよね。ボクは日本に生まれて良かったって素直に思うけれどね。確かに、様々な分野でバランスが崩れつつある今の社会を見る限り、これからも厳しい状況が続くんだろうとは思うけれども、それは誰にも制御できない必然の変化も多く起きているから、嘆いてばかりもいられないって思うし。

 「古き良き日本人らしさ」については、もう一度思い返さないとならないと思う。どこかこう、グローバル化の影響からか、そういう日本人らしさ適菜部分が濁ってしまっているように感じられてならない。

 普段の会話も、創造性に欠ける話題については一切排除するほうがいい気がする。見たまんま、聞いたまんま、誰かを貶めるような表現を平気でできることのどこに創造性があるのか、ボクには全くわからない。それを話したからなんだというの?それでも相手に合わせろと??それがコミュニケーションだというのであればボクに貸す耳はない。

 誰々がこう言ってた、誰々がこんなことやってた、こういう事実ってそんなに重要なのだろうかと思えてならない。冷静にどんなに考えてもやっぱりおかしい。そんなにそういう話がしたいのであれば時と場合を考える必要があるだろうし、似た者同士でやればいいと思うんだけれども、誰彼構わず話して良いことではないんじゃないかね?人の印象を貶めるようなことを話すのであればね??

 無駄話とは別でしょ、それは。例え誰々に関する事実だとしても、その場に居る人間からの共感を得てどうしたいの?そこに一人でも共感しない人間がいた場合、その人からは共感を得られないことが少なからず関係性に影響するでしょう。適切な議論に発展するならまだしも、仲の良い者同士ならそんなことにはならないでしょう。

 ボクは普通に言うけどね。その場に居ない人間のことを好き勝手に悪く言う人間が目の前に数名いたら、「どうしてそういうことを言うんですか?言って何になるんですか?」的なことをね。平気でその濁った空気をブッ壊す。あまりに卑怯でしょ、どう考えたって。聞きたくない人間がそこにいるのに、何をシレッと巻き込もうとしてるわけ?遠慮なくお断りするよ(笑)

 大体ね、何のために今ここにいるのか、その目的意識が欠如してるから余計に他人のことが気になるんだろう?聞いてて現状にそぐわない内容の雑談は気分が悪いから、一通り聞き流してから質問するんだよね。当然のように敬遠されるだろうけどね?もうね、ホント、仲が良いのは構わないけど、馴れ合いは断固拒否するって決めてるから。固いとかなんとか好き放題言われるけど、求めてもいないのにそういう話に付き合わされるのはマッピラごめんなんだよね。

 「誰に対しても合わせられるくらいの柔軟性とか協調性がないとやっていけないよ?」ってよく言われるけれども、それはそういう状況を良しとしている人間たちの戯言だと思ってる。そんな戯言に対してさえも創造性とか感性が感じられないからそう思うだけなんだけどね。邪魔する気はないさ。だけどせめてボクがいないところでやってくれって言いたいだけなのさ。

 人を見下すようなことを言ったり、どの立場から言っているのかと思ってしまうくらい上から何かにつけ悪い部分しか言わなかったりする人は、自信があるから言うのかもしれないけれども、それを言ってどうなるの?ってことばかり裏でしか言わないじゃん。大勢の関係者がいるところで言えるのか?って話。言えないなら裏でも言うなやって思っちゃうのよね~。

 言えないよね、保身があるから。ルールがあるから。大勢の人たちがいるところで特定の人物を責め立てるようなことはコンプラ違反になるって正しく認識しているから、表向きは守るんだよね。敢えて自分のイメージを貶めるようなマネをしようとは思わないからね。セコ過ぎだべ??小っちゃいやっちゃなーって映るんだよ、裏で誰かの陰口みたいなことを言ってる人間は。笑ったりバカにしたりするのは本人の自由かもしれないけれども、結局良い結果を生まないってことに気付けよって思うけどね。

 ボクはというと、本当にいくら自分のことを卑下されても構わないって思ってるから腹も立たない。アニメ「本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません。」で主人公の「マイン」がこんなことを言っていた。「大丈夫よ、フラン。口で言われるだけなら、実害は全く無いもの。」と。実害を加えてこようものなら容赦はしないって話ね。言葉で言われるだけならば、あとは言われる側の心の在り方次第で何とでもなるからね。

 でも、他の人が同じとは限らない。裏で言われていることを本人が風邪の便りで耳にしたとしたら、どう思うかは人に因る。だから裏では言わないんだ。それこそ完全に時間の無駄だから。

 意識をどこに向けるかで、その場その時で、自身の創造力を試せるかが決まってくる。変化に意識を向ければ、他者がどうであれ関係ない。仲が良かろうが悪かろうが関係ない。本人に言えないことは裏でも言うなってこと。口を慎むとはそういうことでしょうに、「仲が良いから本人がいない裏でも言える」は屁理屈でしかない。人間関係ってそんな単純じゃないのにね。

 誰かをネタにその人の名誉を傷つけることで自分を優位に見せることは、仲間内ならできなくはないだろうけれども、その外側にいる人間にはそのことがハッキリ伝わってくる。「なるほど、そういう人なんだな」って。

 本人がその場にいないならいいじゃないかっていうのが陰口。仲が良いなら言わないでしょうに。取って付けたような言い訳が、さらに格好悪く映る。その人の良い部分を付け足して言えば問題ない、という解釈もね。他人のことは他人に任せればいい。敢えて見たまんま聞いたまんま言う意味はないんだよ。陰口を言い合える仲とは、仲が良いのではなく、単なる馴れ合い。

 人を好きか嫌いかで見てるからいつまで経っても他人のことを評価したがるんだよ。そんな暇があるならもっと創造力を働かせる時間を作ればいいのにって思うけどね。小学校や中学校じゃないんだから、そのおかしな「普通」をアップデートしたほうがいいぞ。押し付けるつもりはないけれども、それでいいならいいさ。ボクは知性や感性というのも気にするけれども、一番は「思考の質」。稚拙な人ほどくらだんことを口に出す。

 ここに書いているようなことを、敢えて人様に言うようなことはしない。誰がタダで言ってやるかと思う。ということで値段設定をする。一文字0.1円くらいでね?今回も全文公開に設定してるけど、もし響くものがあれば買ってくれよ♬自己投資も大事。皆さんの投げ銭は、今後も新たな作品を生み続けるのでね。応援よろしくどうぞ♬

ここから先は

0字

¥ 600

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

いただいたサポートは、今後のnoteライフ向上のために活用させていただきます!