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【#思考の言語化】部分的な不能をその人の全てと誤認すること

 過去がどうあれ、現在がどうあれ、誰でも自身の部分的不能を自覚しているもの。

 得意不得意があるのも至極当たり前のことで、得意なこと以外のことでは無頓着で不器用というのも当然のこと。

 「優秀な人材」の獲得に勤しんできたあらゆる企業が今になって立たされている境遇というのは、ネコの手も借りたいくらいの人材不足。

 優秀な人材を欲して育成が後回しになりがちな企業の業績は、結局のところ人材育成に注力し続けた企業には劣るということを気付いた時にはすでに遅かった。

 キーエンスという企業は、イメージとしては軍隊のような人材育成で知られている。しかしながら、企業業績は鰻登りで社員の平均年収は2000万円を優に超える実績。金が欲しければどんなに厳しい教育にも耐える必要があるということか。

 上層部の不能は、企業経営の不能に直結し、従業員の労働力の不能にも影響を及ぼす。

 そしてこれは、企業組織のみの話ではなく、国家規模においても同じことが言えるし、より小さい規模で言うと学校や家庭においても同様に共通すること。

 トラブルの絶えない企業は、根本的にリスク管理ができる人材が不足していることが考えられる。公私共に、交通事故や事件、従業員同士の喧嘩、横領やデータ偽装などのあらゆる不祥事の隠蔽体質、そういうことがまかり通っていた時期が長ければ長いほど、浄化するまでにはかなりの時間を要するため、一時期力を入れてもすぐにマンネリ化して新体制は廃れる。

 自分の不能を別の何かで補う努力ができる人とできない人とが一つところに集まって利益追求をするというのは、元々非合理的なものだという認識はあったのかもしれない。それ故に優秀な人材に固執することになったとも言える。

 雇用を創出することができているとしても、人材育成スキルに乏しい場合には、生産性を上げるために人を育てる必要があるように思えるけれども、実際そうではない企業や職場は多々ある。それでいて人手を欲するのだから虫のいい話である。

 人間は見た目に騙されやすい。噂に騙されやすい。それ故に、騙されていることに気付かないで過ごしているほうが幸せなのかもしれない。中には、見て見ぬ振りをして保身に走っている者も多々いることだろう。

 オリンピックなんかも利権絡みのため、コロナの状況がどうあれ強行開催する外ないといった様子。体制を整えるにしても後手後手の状態で、不備があろうとなかろうとやっちゃえと。

 衆院解散と総裁選が控えているらしいが、こんな状況で総理になろうとする人はいないだろう。支持率低下を定期的に叩きつけられてメディアに突かれる毎日。現職の菅総理は、やんややんやと批判を浴びながらも良くやっているほうではないかね。最近では慣れも見えてきた。

 優秀な人材をかき集めたのが国会議員や県議市議だったりするのであれば、もっとうまく政治を運用できているはずなのに、実際はそうでもない。橋本さんが総理になっていたら、社会はガラッと変わったに違いない。現代の坂本龍馬とも言われていたのに・・・。

 でも、つい昨日の記事では、病床の拡充について、政府の命令に従わない病院には制裁を・・・なんて言っていたね。何を血迷ったのか、病床が足りていないことと医療従事者が不足していること、そもそもパンク状態にあることなどを踏まえれば、医療現場に制裁を加えられるような状況ではない。

 案の定、批判が殺到している。誰も答えを知らず、どうしていいかわからない状態というのは醜い言い争いが起こる。そういう時こそ、ここぞという時こそ妙案を提示できるような人がいれば「とりあえず試してみよう」というような議論も起こるのに、批判し合ったり責任を押し付け合ったりするしか能がない。

 大半は外から眺めている傍観者に過ぎない。いよいよ収集が付かなくなり、暴動が起き、死人が出る可能性までも考えなければならない。

 過去の出来事が現在に及ぼす影響の事例として、これまた最近起きたタリバン関連。タリバンが政権を奪取してからというもの、アフガニスタンから逃げ出す国民が集中した米軍輸送機にしがみ付いたサッカー選手を夢見る少年が、離陸後に落下、死亡した件。

 それくらい、タリバンという存在は脅威的な存在であり、同時多発テロから20年たった今もなお、人々に与える印象は変わることがない。払拭するにしても、時間の問題ではないということは過去の事件が示している。

 トップが不能だとその下に付き従う人たちまでも不能の思想に支配される。宗教絡みは良い話を聞かない。日本でさえも、政治と宗教がガッチリと絡んでいる。その結果が今だ。

 優秀な人間でさえ、権力や利権によって信念が捻じ曲げられてしまうことがある。目の前にぶら下がっているニンジンが、どんな未来に繋がっているのか、そこにはどういうリスクが潜在しているのか、そういうことを想像できなくなった時、人は無能の烙印を押されるのだろう。

 権力だけではなく、経済力も、知力も、体力も、そうした力を欲する人は多い。しかし、あらゆる力を上手に活かすことのできる人は極めて少ない。

 人が育たない国、人が育たない会社、人が育たない学校、人が育たない家庭、変えなければいけないのは、人が属す枠の内側の体質。不能な人間が社長をやれば会社は倒産するし、不能な人間が学校を経営すればいじめは隠蔽されるし、不能な人間が親になれば家庭内暴力や虐待をして隠し通そうとするばかりか自分の子供を傷付け殺すことにまで至る。

 不能な人間が守ろうとしていることほどちっぽけなものはない。不能な人間が力を手にしても何も生まず、至るべき結果に至る。それを知らされずに従わざるを得ない下の人間たちは完全に被害者だろう。

 そういうニオイを嗅ぎつけたら、そんな会社にしがみ付く理由は一つもない。潔く去り、そうではない企業への就職を真面目に考えるべきだ。

 コロナ禍で腐敗臭漂う企業が出て来ないほうがおかしい。すでに倒産した企業ほど元は健全だった良い会社も多数含まれていただろう。

 日本がコロナ禍で失ったものは想像以上に大きすぎた。2035年までに、自動車メーカー大手のトヨタ自動車の牙城が揺らぐ可能性が出てきている。あと14年で、電気自動車の製造ラインを配備したとして、海外にはこれまで通りには売れなくなる。

 売るにしても高い関税を吹っかけられて利益はピンハネされることになることが大方想定されている。脱炭素がもたらす天変地異がどれほどのものか、まだ多くの人たちが正しく認識できていない。

 本来、優秀さはこういう時にこそ試されるべきなのに、中間管理職がふんぞり返っている企業なんて真っ先に倒産へ追い込まれても不思議はない。ハラスメントのオンパレード。

 東京メトロの職員による女子トイレ盗撮が発覚して、翌日容疑者が自殺したなんていう事件も起きているが、記事になっている事件だけでもイヤと言うほどこういうことが全国的に起きている。

 何が正しくて何が間違いかすらも判断できなくなる人たちが増えれば、秩序なんてお飾りに過ぎなくなる。

 国という、見た目ばかりを取り繕ってきた美しい国、日本の企業は、これからもっと苦渋の選択を迫られることになるだろうね。汚い金に群がっていると足元を掬われる。そのことだけは肝に銘じておきたいもの。

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