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◆苦難、困難のない完全な平和で生きることができたとして

それは本当に幸せなことなのか。

人にとって不幸だと思うこと、幸せだと思うことは様々に違うにせよ、不幸は幸せよりも意識を長く縛るし、幸せなことはほとんど一瞬でその場だけで過ぎ去っていく。

平和はそう長くは続かない。

戦争が起こることも、経済が悪化することも、ほとんど必然のもので、浜辺に見る波のように押し寄せては引いていく。

人の感覚というのは、ある一定の条件下で長い年月を過ごせば、それに慣れ、麻痺していく。

そのように、当たり前の日常というものが続いてきた。

日本人の多くは、今日明日食うメシもないという経験をしていない。

毎日朝昼晩三食、しっかり食べましょうの文化だ。

科学的には一日三食は体に悪いらしい結果が出ているらしいが。

増税に拒絶反応を示す日本国民の感情としては当然とも言える首相に対する怒り。

でも、納税額が増えて手元に残るお金が減るのなら、それに合わせて生活するしかないわけで、多少これまでよりも質素な食事になることに、私個人的には何の抵抗もない。

食にほとんどこだわりはなく、何が食べたい?と聞かれれば困るほどに、何でも食べる。

その時々で、腹が満たされればいいくらいの感覚で、休みの日なんか朝昼は食べず、水分のみで一日を過ごし、夜まで空腹感と共に生活し、夜は通常どおり一人前の食事をする。

そうするとね、当然お財布にはエコだし、体にも良かったりするんだよね。

空腹感を紛らわせる感じで、朝昼はちょこちょこと水分を摂取。紅茶やコーヒーなどの甘いのみものもちょこちょこ飲むと血糖値は一定のところで維持されて、上がり過ぎず、下がり過ぎずに夜まで過ごせる。

これまでの一般的な認識が間違っていたんじゃなかろうかと思えるほどに、健康診断で血圧や血糖値やBMIなどの数値に異常値が出たことはない。

余計に食べても良いことがない、個人的にそう思うようになったんだ。

健康食品だったりサプリだったり、そういうもので栄養を補うのは60歳以上になってからでよくて、それまでは必要最低限の食事で事足りるし、空腹こそ体内の自浄作用を活性化するというのは根拠のある科学的な解釈。

いちいち一日の消費カロリーに合わせて食事をする人なんて栄養士に管理されている患者さんくらいで、一般的にそんな人はいないでしょう?

一番重視すべきなのは、自分が感じる空腹感との向き合い方。

体内環境をリセットする時間、それが空腹なのだとすれば、胃袋や腸を休ませることにもなるわけで、栄養を吸収する精度も上がるんじゃないの?

寝る直前に何かを食べる習慣のある人は、きっと大腸がんになるリスクがあがるんだろうよ。

寝てる間にも消化活動を強いられる胃腸の気持ち、考えたことあるのか?

いくら自分の身体とはいえ、内臓への思いやりがなさすぎるだろ…。

肝臓だってそうだ。

寝酒?

ふざけるんじゃないよまったく。

休肝日とか要らないから、飲む量を減らしたり、寝る2時間前までに飲むのを辞めたりすればいいだけじゃん。

自己管理とか格好良いことを言うつもりはない。

ただ、人の健康が本来あるべき姿を正しく認識して、極端に乱れた食や酒なんかの摂取をせず、空腹感も、飲みたいという欲求も、ある程度泳がせたほうがいいって話さ。

お酒に関して言えば、毎日飲んでも美味しさにも慣れるけれども、たった数日空けて飲む習慣にするだけで、飲む日にお酒が一段と美味しく感じられるようになる。

人の味覚というのはそういうもの。

どんなにおいしい焼肉もお寿司もラーメンも、毎日食ってたらいずれ必ず飽きる。

たまに食べるからすごく美味しいし、また食べたいと思えるんだろう?

そういう意味の幸せを、現代の人はどこかに置き忘れてしまっている気がしてならないんだ。

どんな事情があるにせよ、今現在、生活水準が下がってしまっている人たちは、大して不幸でもなんでもなく、幸せを体感しようと思えばいくらでも工夫ができる状態にあると思うんだ。

恋愛なんかもそう。

毎日会ってたらすぐに冷めるぞ?

適度に会うから好きという感情が維持されるものなんじゃないかね?

好きだから毎日会って、好きだから毎日エッチするってのは派手にズレた感覚だと思うが、どうだろうw

富裕層だからって本当に幸せかどうかは怪しい気がするがね。

どちらかというと、人が感じる純粋な幸福感を得ているのは貧困層なんじゃないかな。

それで言うとね?

もちろん、欲望まみれの人は富裕層だろうと貧困層だろうとどの道不幸なんだろうけれども、普段は質素で構わないと思えている人は、うまいこと適度に幸福感を味わえているんじゃないかな。

人生において困難苦難があるのは、きっと人が生きていく上では必要なもので、その都度気付きを与えてくれるものでもあると思うんだ。

自慢じゃないけど、自分が異性に好意を抱いて「ごめんなさい」って振られたことがない。

これって、男からしても女からしても良いことのようにとらえられがちだけど、オレはそうは思わないんだよね。

異性から振られたらどんな感情を抱くんだろうっていうのがわからない。

これはあくまでも一例に過ぎない。

人間ね、生きていて、人が経験していることを自分が経験していないなんてことは往々にしてあることで、逆に、一般的には誰も経験しないようなことを自分だけ経験した、なんてことがあると、なんかこう、優越感みたいなものを感じることがあるでしょう?

結局はないものねだりするじゃん、人間って。

つまりよ?

ないから良いんであって、あるのが当たり前のことは何でも希少性に欠けるから大切に思わなくなるってこと。

毎日同じことの繰り返しでつまらないなーと思ったら、新しいことを始めたり、住む環境を変えたりするってのは良い選択だと思うけどね。

ところ変わればこれまでのルールやら常識やらが通じなかったりするし。

当たり前ってつまらないよね。

ある意味それ以上を考えない思考停止だから。

オレはね、当たり前を押し付けられるのが一番納得いかないんだ。

あたかもそれが正解で、それ以外に解はないみたいな言い回しをする人もオレは好きじゃない。

それこそ、そりゃあんたのご感想でございますよね?ってことだから。

この世界のあらゆる物事に正解があるとしたなら、生きるってことがこんなに複雑で乱れやすいものにはなってなかったと思うし、人々の意思を無視した仕組みが完全に構築されたはずだ。

戦争のような破壊活動が起こるのは、それを許さない人間の意思によるものでしょ。

当たり前ってのは、都合よくそのように思い込ませるための言い回しだったりする。

確たる根拠なんてない場合もあるし、ラクだからそう言いたいだけだったりもする。

相手の言葉の節々に垣間見える手抜きワードを聞き逃さないように話を聞くと良い。

説明するのが面倒だったり、ただこちらを言い負かせたいだけだったり、そういう類の意図が見えてくる。

でも、それをその場で相手に問い詰めたところで、相手が自分の発言を改めるなんてことは期待できないでしょ。

だから「ふむふむそうですね」って聴いておくのがいいのよ。

脊髄反射のようにいちいち否定したり批判したりしている人たちは総じてその辺が理解できていないと思っていい。

正直オレはそういうのに疲れたってだけなんだけど、今になって気付かされたのがそういうこと。

相手が言いたいように言わせておくってのがベターであり、ベストだったりする場合が多いなって。

だからと言って、腹の中で全否定するのではなく、一部でも「確かにそうだな」って思える部分があるのなら、そういうところだけ咀嚼して理解に落とし込めばいい。

右か左か、正しいか間違いか、そんな両極端に振り分けられるほどこの世界は単純じゃないさね。

必ずその間のどこかに落としどころがある。

だから、何かを判断したり決心したり選択したりしなければならない時には、ある程度の妥協だったり覚悟だったりが必要なわけよね。

中流階級が多かった時代なんてさ、特に何も不安に感じずとも生きていけたろうけど、今を生きている人たちはそうはいかない。

足元の幸せを見失わないように、あまり派手な行動、派手な選択、派手な発言をしないように、普段はそこそこに控えて過ごしていくほうが良い気がするがね。

どうも過去の栄光に縛られたままの人たちは、今もなおその時同様の価値観で語っていたりするものだから質が悪い。

これと言って夢も希望もない人は多いでしょう。

でも、オレからすればそれこそが普通で、夢や希望を抱く瞬間が訪れるのかどうかを知る意味で、生きる価値としては今も昔も変わらないんじゃないかな?

現状予測される未来に対して絶望するとかいうのはちょっと視野が狭すぎるかなとも思う。

逆に、未来に対して期待し過ぎるのも違う。

生きてみないとわからないのが未来だ。

それくらい、世の中は不確実性に満ちていて、わからないながら人々は今日を、明日を生きているものだ。

極端な考え方に陥っているときこそ、一旦考えるのを辞めてボケェーっとする時間を持つのがいい。

これは空腹と同じ論理ね。

他人が何を言ってようと、自分の思考をリセットする時間さえ持っていれば操られることも搾取されることもない選択ができるだろうよ。

LINEとかXとかもそう。

リアルだろうとネット上だろうと、関わっても良いことないなと思ったらその瞬間に切ればいい。

それによる弊害を想像するだけ無駄なことで、良い選択だと思えるならスパッと切ればいい。

やるなら早いタイミングでね。

その人にかけたであろう時間や労力を、関わっている大切な人たちに使うほうが良いでしょう?

そういうもんだと思うけどね、人間関係なんて。

悩むだけ損。

いろんな人間がいる。

みんな違う。

それは事実であって、当たり前とは違う。

たださ、自分が関わる人たちの数、その割合で言えば分母は80億人で、何パーセントかって考えなくても極めて微少な割合でしかない。

大切にする人の数はいくらいても良いとは思うけど、2~3人くらいいれば十分でしょ。

と、オレは思う。

たまにいるじゃん。

友達多いマウントを取ってくる人、友達と予定が埋まってて忙しいマウントを取ってくる人。

それはただひたすらに「ご苦労様です」ってことでいいんでない?

本人は優越感を感じているんだろうからね。

マウントってそんなもんよ。

へぇーすごいね!って言ってあげればいい。

そういう返ししかしてないと相手から離れていくから、お互いウィンウィン。

「オレはお前よりすごいんだぜ!」って相手は言いたいんだから、言わせてやろうぜ。

見栄を張ったり、背伸びをしたりすると、疲れるだけだぜw

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