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【#善悪共存社会の適切な在り方とは】社会、悪、罪、苦悩、それぞれの前提の再確認×鬼滅の刃

 ボクはね、小説でも映画でもアニメでも、心が震え、涙を流し、声を出して泣いた経験がある。その度に、自分の心がまだ人間のそれであることを確かめることができたような気がする。

 世界中で爆発的な人気を誇る日本のアニメ「鬼滅の刃」が流行り出した当初、ボクはいつもの通り無関心なまま1年以上スルーした。

 ところが、(まだ観ていない)劇場版の無限列車編の宣伝や、主題歌の超絶人気、興行収入への期待感については歴史的記録更新は実現するものという予測も立っていたため、いよいよどうしてこれほどまでに人気なのか気になりだしてアマプラビデオで観ることとなった。

 現在までに、全話30回以上の再生回数。何度も、何度も観続けた。生憎、ボクはどんな作品も1度の視聴では全てを理解したり捉えたりすることはできず、何度も観続ける中で気付かされることのほうが圧倒的に多いため、とにかく理解に至るまで観る。

 国家非公認の組織「鬼殺隊」、鬼舞辻無惨を筆頭とする十二鬼月(じゅうにきづき)※上弦の鬼と下弦の鬼とで構成される無惨の血を与えられた鬼、そして、一般社会という三つの領域でストーリーが展開される。

 このアニメのコンセプトはとてもシンプルなんだけれども、メッセージが深いと思う。

 今の社会ってさ、芸能人やタレントだけではないあらゆる名のある人たちを中心に、日々報じられるニュースの性質はとにかく「人気/トレンド」と「炎上騒動」、そして「批判」。これにコロナ関連が含まれる。

 記事にコメントを書き込めるようになっていたり、SNSでいうところのTwitterよね、主には。YouTubeもコメントできるようになってる。

 今のネットの仕組みって、「誰でも自由に情報発信ができる」という本来の目的から「批判しやすい構造」へと形態変化していて、「批判されやすいネット社会」になってるんだよね。そして、その全てが消えることなく残り続ける。

 何かあると過去のアレコレまで掘り返されて現在の出来事とゴッチャに混ぜて都合の良いように批判している人たちばかりじゃない?気が付いたら最初に批判していることとは別のことを批判しているとか、結構あるでしょ。

 でもそれって、批判している本人は論点をズラしているつもりはなくて、一つのことを批判していると思い込んでるパターン。例えで言うのはおかしいかもしれないけれども、某YouTuberの買っているネコが子猫だった時に、最初遊んでいたボールが、途中でいろんな色のボールに変化しているのに子猫は一つのボールを追いかけているつもり、みたいな、ほんとそんな感じのコメント多々ある。

 もういい加減、渦中の人物に全員で一斉に投石するの辞めない??石を投げている者同士は真に共感しているんじゃなくて、ただ面白かったり楽しかったりするから石を投げているだけで、たくさん石をぶつけられてる側の痛みなんか考えもしないでしょ。でもさ、そういう輩に石を投げるなって言うだけ無駄なんだよね。むしろ逆効果でもっと投石し出す。

 人間の臭いがする・・・

 人間の臭いがするぞ・・・

 どこだ?

 どこにいる?

 ん?

 あそこか!!

 っしゃぁぁぁぁ!!オレの獲物ダァー!!

 と、鬼が人間目掛けて突進していくと、複数方向から別の鬼たちが同じターゲットに向けて突進してくる。

 あの鬼は腕を、この鬼は足を、その鬼は腹部を、もう一体の鬼は頭部を、食い漁る。そして、また別の人間を見つけては・・・ということを繰り返す。

 批判する側って、正しいことを言っているつもりになっているから、多少表現が雑で荒っぽくても自分が気持ち良ければそれでいいみたいなところがあるから、それに慣れてしまうと日課になるんだよね。

 本当は、内心では、そんなことがしたいわけではないのに、わざわざどこぞの誰かを批判するためだけに時間を費やしてしまう。その結果、誹謗中傷された側の人が死んでしまったら、そこには罪悪感しか残らないことにその時初めて気付かされるんだよね。

 法律上、直接起訴されないとしても、自身も一時的に加担した炎上騒動で人が死んだとなれば、心には穴が開くんだよね。そして、一度そうやって空いた穴は一生いくら時間が経っても埋まることがないし、他の何かで埋め合わせることもできない。

 というようなことを諸々考えているとね、現代人って後悔するために生きているような気がしてならないのよ。こういう言い方をすると主語がバカデカくなって、「自分が否定された気分になった」とかで批判してくる人たちが沸いて出てくるんだけど、そんなことは端から承知で言ってるのよ。

 否定された、批判された、そういう被害妄想者を生んでいるのも事実でしょう?なんでもかんでも自分と結び付けてしまう人ほど、直接批判されたわけでもないのに、批判されたと誤解して今度は別の誰かに攻撃し始めるという負のループに陥るのよね。

 正気ではないよ、毎日毎日批判しかしない人って。関わる人は選べって言うけれども、今はそんなことよりももっと重要なのは「触れる言葉と参加する場所は選べ」ってことじゃないかね。

 人間社会で一番怖い状況って、誰かが悪いわけではないのに瞬く間に目の前の状況が悪化していくのを目の当たりにした人々の異常な行動よ。災害時の空き巣、窃盗、強盗、よくあるらしいけれども、「混乱に乗じて」ってヤツ。

 「今なら行けんじゃね?」っていうノリ。そんなに悪意なくても手癖の悪い人間ならやりかねないような状況ではあるのよね、混乱時って。愛知県なんか空き巣、車上荒らし、チャリ窃盗は当たり前。犯罪集団が存在する以上、なくなりはしない。

 今だと、プリウスとか狙われてるみたいだけど。

 狙われるのはどんな人たちかって、傍から見て金持ってそうな家に住んでいる人たちでしょ。これまで散々マウント取り合ってきた結果、犯罪集団に狙われるという末路。考えもんだよね。持たざる者は危うからずってやつよ。

 「一度罪を犯した者は社会から追放されて当然だ!!」みたいな議論が、わいせつ教員関連でされてるけれども、カンニング竹山さんが良いこと言ってた。

 これはボクも何年も前から思ってきたことなんだけど、「資格取得者の人格的適性」を測る手段が確立されない限り、逮捕起訴されて判決出てから3年経ったらまた教員免許取って現場に戻れるっていう仕組みが本当の意味で機能しないんだよねって話。

 確かにさ、教師のわいせつ事件とか児童ポルノとかめちゃくちゃ増えたような気がするけれども、2018年も2019年も全国で200~350件くらい報告が上がってるって言うじゃん。

 もし、今後も増えていくんだとしたら、今度は逮捕起訴された元教員の進路が問題視されて当然だよね。全員、3年経ったら教育現場に戻すっていうんじゃ、納得できないよね、特に被害者サイドは。

 刑務所の更生プログラムと一緒でさ、ちゃんと教員として在るべき姿へ更生できたかどうかを判断するための第三者組織がなかったら、今のまんまじゃザルだよね??

 反対に、無条件に一度の罪で完全追放なんかすると、現在までにそういう罪を犯した教員たちは堪ったもんじゃないよね。発覚を恐れて何をするかわからない。

 だったらって話で、カンニング竹山さんが「資格取るのは良いけど、ちゃんと教師たる人格者なのかどうか判断するための基準が必要なんじゃないの?一般の会社員と教員とでは社会的立場がまるで違うわけだし。」って。

 税金でメシ食ってる教員がさ、自分の生徒を見てムラムラしちゃってどうのこうのとか、これって教員という職種だからこその何かが要因としてありそうだよね。

 生徒よりも当然立場は上で、学校でも密室は必ずあるわけで、何かしようと思えばできなくはない環境なんだろうね。それとさ、これアニメ「呪術廻戦」で、真人に殺された吉野順平が言ってたセリフなんだけど、

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 これが最大の、もしかしたら唯一無二の要因なんじゃないかな。わいせつ教員が蔓延する理由って。

 というとだ、そういう社会経験の乏しい教員を増殖し続けた全国の教育委員会とか文科省とかがその辺の危機感が足りなかった・・・とかいう議論も生まれそうだよね。

 教員免許取得後、2年間の社会経験を積んで現場デビュー、みたいな。経験する中身は何でもいいんだと思う。会社員として一度は働けってことね。公務員でありながら、激務に追われ、大して良くない給料で、ガキどもの面倒を見なければならないという現実は、きっと何年目かのマンネリで急に襲ってくるんだろうよ。

 良からぬことを考えてしまいそうな醜悪な職場環境でもあるのかもね、学校という陸の孤島は。

 とにもかくにも、悪いことをした人間だけが悪いっていう考え方は、かなり危険ってこと。背景に目を向けなかったら、理解してもらえない苦しみで人が死ぬ。その上、批判しまくった人間たちが生き続けられるという極めて狂った理不尽よ。

 そりゃー、一度鬼に魂を売ってしまった人間でも、そういう仕打ちを受ければ涙も流すってもんよ。ホント、現代社会は人に優しくないよな。逆に、社会的ステータスにハンデがあることを良いことに、上から調でモノを言う当たり前主義者も沸いて出てくるし。無能呼ばわりされてキレる人たちね。

 立場を振りかざさないとモノが言えないし権利を主張できない人よ、愚かなり。合理的に考えて適性かどうかが一番重要。立場とか気持ちとか二の次でしょ。言ってることが理に適っているかどうか、これが最重要でしょ。

 知性が感じられない人のさ、キレながらの主張ほど何も伝わってこないなーって思うのはオレだけだろうか(・∀・)落ち着いて話せ。ほんで、煽るな。会話にノイズ混ぜるな。

 善悪共存社会、悪を許容できない社会は滅亡する。悪の恩恵、みんな享受してるのにね。目の前の悪だけ批判するとかどんだけ自惚れてんのって話よ。

 今現在、罪を犯した悪人呼ばわりをされている人も、元は普通の一般人。善人も悪人もいないこの社会で、善悪が共存しているなんて、不思議だよね。人はいつどのタイミングで善人と自覚し、いつどのタイミングで悪人への落とし穴に落ちるのだろうか。

 これに、例外はない。

※涙腺が弱い人は、ジャルジャルのアレをやってみよう!

涙腺コルクでギュッ♬

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