生きているという実感

母が介護職なので、お年寄りの利用者さんとそのご家族のことで困ってしまった話をよく聞く

「みんなティッシュを使いすぎじゃない?」という話になり「(うちの家族は)鼻を噛んでいるんでしょ?」と返したら「いや、会社でも」と、利用者さんの話にすり変わった
「赤ちゃんがティッシュを沢山出しちゃったりするでしょ。ティッシュを使う目的よりも、ティッシュを取ることが癖になっちゃってるんだよ」
「消耗品をおもちゃにされたらたまらないね」
「歳をとって認知にもなるとできることが少ないから、生活しているという実感を得るためにそうしちゃうんだよ。もよおしていないのにトイレに行きたいとか」

できることが少ないので、生活の実感を得ようと……
私には頭の痛い話になった

赤ちゃんにしてもお年寄りにしても、どちらも知能と身体的に不自由なことが問題だ
赤ちゃんはこれから体ができあがり物事を覚えていく可能性に満ちているが、お年寄りはこれまでに覚えたことができなくなっていき、最後の最後に残された手段として一見意味のないようなことをするのである

今までできていたことや本来したいことは別なのだろうが、叶わないための代替行為

頭痛と寒気のせいで頭が働かず、今朝も起きても立ち止まっては右往左往している時間が多い
薬を飲む、あたたかい服に着替える、カイロを貼る、食事をとる、洗濯物を干す……などが遅遅として進まない中、立ち止まっての代替行為にこれを書いている

またしばらくすれば体調も良くなるとは思うが、今はテキパキ物事をこなすことが難しい
窓辺で午後の陽射しを浴びながら、吹きすさぶ風の音を聞いている



2023.2.26 処理️☀️🍃彡


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